『ようこそ実力至上主義の教室へ』は俺TUEEE系の学園アニメでありながら、「真の平等とは何か?」といった哲学的なテーマを扱っているのが特徴です。そのため、各話サブタイに「地獄、それは他人である」といった哲学者の名言が使われています。ストーリーとの関連度が高くて面白いので解説をつけてまとめてみました。
目次
ニーチェは、簡単に言うと「キリスト教なんて偉そうに言ってるが、要するに富み栄える者に対して嫉妬して足引っ張ってるだけじゃんか。それで優秀な人間の足を引っ張るもんだから、世の中が停滞したり人間の本来の活力が沈滞したりしてろくなことになってねんだよ。ガッデム!」って言ってるんです。
引用元:detail.chiebukuro.yahoo.co.jp(引用元へはこちらから)
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弱さに由来する愚痴とか、妬みとか、諦めとか、そういったものが良くないと言っているのだ。
引用元:keik-vom-leiermann.seesaa.net(引用元へはこちらから)
《ラ・ロシュフーコー》
フランス屈指の大貴族の家系に生れ,しばしば政治的陰謀に利用され,リシュリュー公と争ったり,フロンドの乱に参加したりの波乱の半生をおくったのち,1653年失意のうちに隠退生活に入った。
引用元:kotobank.jp(引用元へはこちらから)
『才能を隠すにも卓越した才能がいる』って言葉に「これ俺か?」って言い出す奴、何も才能を隠そうとしてなくて本当に面白い
— nijin (@site1031) Aug 17, 2017
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『国富論』は、国家繁栄の原理を明らかにした書物である。スミスは、国の豊かさの本質は「労働」にあり、労働と土地が生む年間生産物の量が国の豊かさを担保すると述べる。
引用元:eninarutiiki.hatenablog.com(引用元へはこちらから)
生活が豊かになるには、分業と労働生産性の向上が必要であり、その前提となるのは人間だけがもつ交換したいという性質だ。そうスミスは論議を展開してきました。
引用元:kimugoq.blog.so-net.ne.jp(引用元へはこちらから)
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ラ・ロシュフコーも容赦ない眼差しを周囲の人間に向けて、貧弱な精神を分厚い衣装で着飾ったり、内面の醜さを言葉巧みに隠し続けている人間、嫌がられていることに気づかずに自分のことを長々と自慢げに語る人間、恋愛の狂気に翻弄される人間たちの繰り広げるドラマを箴言に映し出している。
引用元:www2.hannan-u.ac.jp(引用元へはこちらから)
《サルトルの思想》
人間は自分で選択したわけでもないのに、気づいたときにはすでに、常に状況に拘束されている。他人から何ものかとして見られることは、わたしを一つの存在として凝固させ、他者のまなざしは、わたしを対自から即自存在に変じさせる。地獄とは他人である。
引用元:ja.wikipedia.org(引用元へはこちらから)
「即自存在」とは、それが何ものであるかを規定されて存在しているものを言います。例えば、ペンやナイフなどの道具は「即自存在」です。
これに対して「対自存在」は、何ものであるかを規定されず、自己に向かい合うものを指します。つまり、人間がその「対自存在」にあたるとサルトルは言うのです。
引用元:detail.chiebukuro.yahoo.co.jp(引用元へはこちらから)
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成績の良い生徒ほど多額の生活費がもらえるという特殊な高校に入学した生徒たちが底辺から這い上がっていく姿が描かれます。
この作品の主人公は無能そうに見えて実は天才です。大活躍します。そういった部分はテンプレ的と言っていいです。
しかし、面白いのは「真の平等とは何か?真の実力とは何か?」という哲学的なテーマがときおり出てくるところ。なんと主人公がクラス担任に向かって、「今の日本は、この社会は平等だと思いますか?」と質問するシーンがあったりします。