大学野球のスターだった一茂が「勝てなかった」と認め、
「憧れ」とさえ語るライバルが当時、存在していた。その天才打者は一茂とともに日本代表として87年の日米大学野球に出場し、
のちにプロ野球で活躍する選手が多くいた日本代表チームで唯一となる本塁打を放つなど、大活躍を見せた。
9月30日放送、TBS系『消えた天才』第4弾。大学時代に唯一「かなわない」と思った天才バッターについて語る長嶋一茂(C)TBS 10月改編でレギュラー化が決定したTBS系『消えた天才』(毎週日曜 後8:00~8:54)。あらゆる業界の一流が、かつて「勝てなかった人」「すごいと思った人」で、現在は表舞台から姿を消し...
2年の春からベンチ入りを果たし、3年春にはレギュラーとして憧れの土を踏むことができる、と思っていた矢先。開幕直前に持病の椎間板ヘルニアが悪化した。初めての挫折に本当に心が折れかけたが、ここで立ち止まっているわけにはいかない。治療と並行して肉体改造に取り組んだ。記憶にないほどの練習にも励んだ。結果、その秋、首位打者に輝いた。翌年春にはリーグ戦を制し、大学選手権の頂点にも立った。
この時の慶応のエースは同じ東北出身で私と同様に2浪して入学した鈴木哲(西武)。さらには通算31勝を挙げた左腕・志村亮、三冠王に輝いた大森剛(巨人)らに支えられての優勝だった。また日米大学選手権に選ばれた全日本の顔ぶれもそうそうたるメンバーがそろった。鈴木、志村、大森のほか、武田一浩(日ハム)、渡辺正和(ダイエー)、古田敦也(ヤクルト)、長嶋一茂(ヤクルトー巨人)、矢作公一(日ハム)、野村謙二郎(広島)大豊泰昭(中日)、大塚孝二(西武)ら、後にプロ野球で活躍する彼らを主将としてまとめあげた。そんな大学時代は楽しい4年間だった。
引用元:ballpark-akita.com(引用元へはこちらから)
現在、野球を経験したことで仕事に生かされていることは「前向きにいく」こと。人生、いい時もあれば、悪い時もある。物事に対して常に前向きに、肯定的にとらえることを学んだ。人間関係もしかり、積極的に相手の懐に踏み込んでいくことが重要で、流れを自分に呼び込むことができるはず。そしてチームプレーの重要性は野球も仕事も、いわずもがなであり、まさに私にとって野球とは「人生の土台」である。
引用元:ballpark-akita.com(引用元へはこちらから)
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試合終了後、秋田県庁公式ツイッターは「胸を張って、秋田に帰ってきてください」と準優勝をたたえた。元高校球児で、日米大学選手権で古田敦也氏らを擁する日本代表のキャプテンだった県財政課長の猿田和三さん(55)は「秋田の自信につながった。人口減少を打開するために、次は我々大人ががんばらなきゃいけない」と話した。
引用元:www.nikkei.com(引用元へはこちらから)
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