自民党総裁選の投開票日が近づく中、岸田前政調会長に強力な援軍が付いた。かつて自民党総裁を務めた谷垣禎一氏が岸田前政調会長の支持に回ったのだ。現在は政界を引退しているが、自民党再興と震災復興に尽力した人物として知られ、党員からの支持も厚い。彼の援護が「岸田総理」誕生の後押しとなるかもしれない。
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自民党の岸田文雄前政調会長は(2021年9月)2日の記者会見で、国民から岸田氏自身や政策に関する意見をインターネット上で募る「意見ボックス」を開設したと述べた。専用の入力フォームからの送信か、ツイッターに「#岸田BOX」の文言をつけて投稿すると、岸田氏が定期的に動画やツイッターで回答するという。
岸田氏は党総裁選への出馬を表明している。記者会見で「新型コロナウイルス下の総裁選で、大集会や多くの人の前での街頭演説は控えないといけない。オンラインや様々なツールを駆使し、国民の声をくみ上げる努力をしたい」と語った。
引用元:www.nikkei.com(引用元へはこちらから)
#岸田BOX への回答ライブで「総理になったら中国に甘くなるのでは?」という質問。「全く逆だ」と答えました。外務大臣時代の2016年、副大臣だった木原誠二さん @kihara_seiji と一緒に北京の外相会談に臨み、朝から激しい議論を重ね、日本の立場を強く主張しました。その時の様子をお伝えしています。
— 岸田文雄 (@kishida230) Sep 15, 2021
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自民党の岸田文雄前政調会長は5日、自身のYouTubeチャンネルで視聴者からの質問にライブで答える配信を行った。
その中で視聴者からの「バナナはおやつに含まれますか?」という質問に対して岸田氏は「含まれません」と回答した。昭和30年代中頃までバナナの輸入規制があり高級品として扱われていた歴史などを理由として述べたが、あまりにも丁寧に誠実に答えようとする岸田氏に対して司会を務めた村井秀樹衆院議員(埼玉1区)は「私が振ってしまって、すみません。真面目にお答えいただいて」「私が悪かったです」と岸田氏の人柄について視聴者に理解を求めた。
引用元:ksl-live.com(引用元へはこちらから)
自民党総裁選(29日投開票)に出馬している岸田文雄前政調会長は21日、東京都内の谷垣禎一元総裁の自宅を訪れ、谷垣氏と会談した。岸田氏は「最後までしっかりと戦い抜く」と決意を伝え、谷垣氏は「必ず勝利を果たしてほしい」と激励した。
引用元:news.yahoo.co.jp(引用元へはこちらから)
現在1000回を超える自民党の「ふるさと対話プロジェクト」を最初に始められた谷垣禎一元総裁に激励を頂き、さらにビデオメッセージまで頂きました。
— 岸田文雄 (@kishida230) Sep 21, 2021
「本懐をお遂げになりますように」
谷垣先生の思いを受け継ぎ、国民に寄り添う政治の実現のため、必ずや勝ち抜いて参ります。
#チーム岸田
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「男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」という慣用句があります。原文は『三国志演義』が出典で、呉(ご)の武将(ぶしょう)呂蒙(りょもう)の故事から出ています。
引用元:www.nohkai.ne.jp(引用元へはこちらから)
人間だれもが能力を持っている。外見からはわからないほど、色々な能力をもっているのである。この慣用句も、三日間というわずかな時間でも人間は変わることができるということを言っている
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岸田氏は会談後、自宅前で記者団に、「(谷垣氏から)力強い言葉をいただき、勇気100倍だ。しっかりと応えられるように頑張りたい」と強調した。
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谷垣グループでは代表世話人の中谷元元防衛相がグループとしての支持を表明し、同じく代表世話人の遠藤利明元五輪相が岸田氏の選対本部長を務めている。谷垣氏は自民党が下野した際に党の再興に尽力した功労者である。議員票がほぼ確定しつつある中で、党員党友からの信頼が厚く人気の高い谷垣氏からの激励は党員票に影響しそうだ。
引用元:ksl-live.com(引用元へはこちらから)
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自民党は退陣した麻生総裁に代わる新たな総裁を選ぶため、平成二十一年九月二十八日に総裁選を実施しました。総裁選には西村康稔前外務政務官、河野太郎元法務副大臣、谷垣禎一元財務相の三人が立候補しました。いずれも火中の栗を拾う覚悟で戦いに挑みます。
開票の結果、谷垣氏三百票(議員票百二十票、党員算定票百八十票)、河野氏百四十四票(議員票三十五票、党員算定票百九票)、西村氏五十四票(議員票四十三票、党員算定票十一票)で、谷垣氏が議員票、党員算定票いずれも約六割の支持を獲得し、第二十四代自民党総裁に就任しました。
谷垣新総裁は「『政治は国民のもの』との原点に立ち返り、自由民主党が国民のために何をやる政党か、もう一回議論し、信じるところを正直に国民にぶつけていく。党改革は待ったなし」と、党再生と政権奪還に向け先頭に立って全力で取り組んでいく決意を述べました。さらに就任直後の記者会見では、「保守政党としての大道を歩んでいく」と明言し、次いで「国民の目線と十分に向かい合っていなかった」と、謙虚に選挙結果を振り返り「できるだけ早期に全国四十七都道府県に足を運び、地域の意見に耳を傾けたい」との意向を表明しました。
政治家の第一義的責任は、何よりも国民の声を吸い上げ、それを具体的政策にしていくことは言うまでもありません。政権を離れた今だからこそ、将来の与党復帰に向けて全国行脚を続け、それぞれの地域が抱える課題と向き合い、それを再出発の原動力にしようと、谷垣総裁は決心したのでした。
引用元:www.jimin.jp(引用元へはこちらから)
谷垣総裁は、十月早々から全国各地を回ります。地域の人々と車座になって語り合い、声なき声に耳を傾けました。謹厳実直、しかも親しみやすい人柄故、共感の輪・人気は徐々に広がっていきます。そんな中で、しばしば有権者から聞かれたのは「自民党とは一体どういう政党なのか。国民のために何をしてくれる政党なのか」という素朴な疑問でした。さらに「しっかり反省し、立ち直ってほしい」との期待、「自民党の顔が見えない」との批判もありました。谷垣総裁は、そのような意見に対し、「自由民主党とはこういう政党である」との態度を示すため、伊吹文明氏を座長に「政権構想会議」を立ち上げ、党再生の礎となる綱領改定を指示します。
綱領とは「党の憲法」とも言うべき文書であり、立党時の昭和三十年、立党五十周年の平成十七年に、それぞれ発表しています。谷垣総裁は、改めて立党の原点を再確認すべく、約一年間の議論を経て、平成二十二年一月、立党以来三度目となる新たな綱領を世に問いました。それが「新しい綱領『新たな出発─夢と希望と誇りの持てる国・愛する日本をめざして』」です。
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立党から半世紀以上経ち、世の中は大きく変わりました。そこで、時代に合わなくなったものは補い、変わらぬ精神は継承し、来るべき未来に備えるという観点から、全てを書き換えたのではなく、従来の二つの綱領を増補したものです。
国民の意見を真摯に受け止め、丁寧に組み上げながら、綱領改定の作業に取り組んだ谷垣総裁時代は、野党として濃密な時間を費やし、党再生の歩みを刻んだと高く評価されています。
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一方、自公連立政権に代わって誕生した民主党を中心とする鳩山由紀夫内閣は、選挙時にマニフェストで掲げた公約の実現に着手します。社民党、国民新党との三党連立政権でした。「脱官僚」「政治主導」をキャッチフレーズに、国家戦略室や行政刷新会議を新設、特に税金の無駄遣いを洗い出す「事業仕分け」は注目を浴びました。「コンクリートから人へ」をうたい、高校授業料の実質無償化や子ども手当、農家の戸別所得補償と、生産性や成長よりも給付・分配を重視した施策を打ち出します。しかし精緻な議論や準備なく始めた民主党の「社会実験」は破綻を来していきました。特に鳩山首相が公約した「普天間基地移転先は国外、最低でも県外」との無責任な約束は、過去の日米合意を覆すものであり、日米関係を悪化させました。
この間、自民党は単にこれらの問題点を追及、批判するのではなく、各々論点を明らかにし、具体的な提言を行い、「責任野党」としての存在感を発揮していきます。例えば谷垣総裁は平成二十二年四月、宮崎県で家畜伝染病である口蹄疫が広がっていることを受け、現地視察を行い、帰京後、鳩山内閣に先んじて、直ちに自民党内に口蹄疫対策本部を設置し、鳩山内閣に対して早急に対策を講じるよう申し入れます。長年の政権運営のノウハウが蓄積されている自民党ならではの対応でした。
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平成二十三年三月十一日午後二時四十六分、三陸沖から茨城沖を震源とするマグニチュード9・0の巨大地震が発生しました。死傷者は二万人近くに達し、東京電力福島第一原発事故により全村避難事態が生じるなど未曽有の災害となりました。自民党は震災発生直後の午後三時に谷垣総裁を本部長とする「東日本巨大地震緊急災害対策本部」を設置しました。これは菅内閣の対策本部設置より早い対応です。
三時四十五分の初会合で、谷垣総裁は挙国一致でこれに当たるとし、与野党の枠を超え、菅内閣を全面支援する方針を表明します。対策本部の協議では「補正予算も必要となる。わが党も協力していく」と述べ、その後、谷垣総裁は菅首相に電話で、その旨を伝えました。
一方、官邸で指揮を執るべき最高責任者たる菅首相は福島第一原発に震災翌日の十二日朝、ヘリコプターに乗って出向き、約五十分間にわたって視察します。その結果、現場作業員の作業着手が遅れ、対処が後手に回ってしまいました。菅内閣の危機管理能力のなさが露呈してしまったのです。
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十九日、菅首相は谷垣総裁に副総理兼震災復興担当相としての入閣を打診しました。震災対策を大義名分に自民党との「大連立」によって政権安定を図ろうとしたのです。谷垣総裁は「今の態勢をいじる時ではなくて、災害復旧と言いますか、被災者の支援、原発の対応等々に全力を尽くす時ではないか。あまりにも唐突なご提案だと思います」と菅首相に釘を刺し、「これからも全面的に協力するつもりである」として、これを拒否しました。
谷垣総裁は三月末から四月に、山形、宮城、福島、 岩手各県の被災地や避難所を視察し、党幹部も手分けながら、救援物資の供給、被災者の救済に尽力しました。さらに五月十八日には、党内の英知を結集して作成した「東日本大震災復興再生基本法案」を衆院に提出します。これは、その後、政府案との擦り合わせの結果、東日本大震災復興基本法として結実します。
引用元:www.jimin.jp(引用元へはこちらから)
谷垣総裁も入閣云々とは別に、首相官邸を何度も訪れ、菅首相に直接様々な要望しています。 また、先週末は宮城県や福島県からの避難者が多くいる山形市や上山市の避難所を訪れるとともに、宮城県、福島県の被災地を訪れ、現地の皆さんから多くのご要望を聞いてきました。今週末には岩手県に入り現地の要望や苦労を伺ってきます。更に、宮城県や岩手県、福島県出身の国会議員が自分の家や家族が被災に遭いながらも避難所を回り、皆さんの要望を聞きその実現に努力をしたり、その他の議員も連日被災地に入り、自分達でチャーターしたトラックで救援物資を搬送したり、炊き出しを行うなど奔走しています。
引用元:www.e-toshiaki.jp(引用元へはこちらから)
自民党の谷垣禎一前幹事長(72)が政界を引退する意向を表明し、党関係者に「谷垣ロス症候群」が広がっている。谷垣氏は昨年7月に自転車事故で大けがを負いリハビリを続けていて、これまで順調な回復と復帰への意欲が伝えられてきた。それだけに突然の引退表明は驚きをもって受け止められ、復帰を待ちわびていた側近らは喪失感にかられている。
「今回は立候補いたさず、後進に道を譲り、政界を引退させていただくことにいたしました」
谷垣氏は先月25日にコメントを発表し、次期衆院選(10月10日公示-22日投開票)に出馬しない意向を正式に表明した。今夏までは来秋の衆院解散・総選挙が有力視されていたが、安倍晋三総理(63)が北朝鮮情勢などを踏まえて早期解散を決断したため苦渋の判断を迫られたとみられる。
※2017年10月5日の記事
引用元:www.sankei.com(引用元へはこちらから)
安倍総理も谷垣氏に特別な敬意を払っている。9月30日には解散後初めての遊説先に谷垣氏の地元・京都を選んだ。後継候補の応援演説で「谷垣先生にもっともっと議員として政権を支えていただきたかった」と引退を惜しみ、「谷垣先生最後の選挙という思いで一緒に戦っていこう」と声を張り上げた。
※2017年10月5日の記事
引用元:www.sankei.com(引用元へはこちらから)
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平成年間として最後となる第86回自民党大会が(2019年2月)10日、都内のホテルで開催された。
主役の安倍晋三総理は締めくくりのあいさつで、参院選などの勝利に向け、「あの悪夢の民主党政権に戻してはいけない」と、居並ぶ自民党議員や地方党員に檄を飛ばした。ただ、会場が一番沸き、総理以上の大喝采を浴びたのは谷垣禎一前幹事長の車椅子での演説だった。
引用元:toyokeizai.net(引用元へはこちらから)
谷垣氏はまず「3年前の夏、私の不注意から大けがをして突然仕事ができなくなり、大変ご迷惑をおかけしました」とお詫びから切り出した。大怪我からのリハビリ中に「全国の党員・党友らから大変な励ましの言葉を頂いた」と会場を見回した後、「私が今楽しみにしているのは、来年の東京パラリンピックです」「自分が障害を負うと、障害というものは一人ひとりで抱えている課題が全部違う」と語った。
続けて谷垣氏は「パラアスリートの方々がそれぞれの課題をどう乗り越えて、どう勇気を振り絞って大会に挑戦されるのか、ぜひ拝見したい。それが私にも勇気を与えてくれる」と真剣な表情で会場に語りかけた。さらに谷垣氏は、今年が改元の年で、世界情勢も激動していることを指摘し、「新しい道を切り開くには、自民党がさらに精進して、安定した政治をつくっていくことではないか」と総理らへの熱いエールで締めくくった。
引用元:toyokeizai.net(引用元へはこちらから)
メモも持たず、声量豊かに会場の一人ひとりに呼びかけるような約5分間のスピーチに、会場は大きな喝采と歓声に包まれた。インターネットでの中継動画でも「ガッキーいいぞ!」「参院選に出るべきだ」「車椅子の総理目指せ」などの書き込みがあふれた。
引用元:toyokeizai.net(引用元へはこちらから)
(岸田前政調会長は)祖父、父も代議士を務めた3代目。“育ち”は良い。
「決して人の悪口は言わない。市議会議員に対しても、“先生”付けで呼ぶなど、人柄は抜群」(地元関係者)
引用元:news.yahoo.co.jp(引用元へはこちらから)
多くの人から、温厚、良き常識人と評価を受けている。悪い意味で、優柔不断ともいわれてしまっていた。仕事面については「物静かで堅実」という評価をされていることが多い。会見ではメモを読んで、その言葉を思い出しながら話すなど、まさに堅実の鏡ともいえる。そのため、「話がつまらないまじめな人」「地味で優柔不断な優等生」などといろいろ言われているが、本当のところはわからない。
複数の関係者に話を伺うと、キーワードは3つ。「いいひと」「チームプレー」「聞く力」だ。
引用元:japan-indepth.jp(引用元へはこちらから)
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「岸田の話はつまらない」。昨年の自民党総裁選で敗北を喫した後、こんな声が投げ掛けられたという。「しかし、私の特長は聞く力。今の時代に求められているリーダーは私だ」。岸田文雄前政調会長は総裁選が告示された(2021年9月)17日、衆院議員会館で開いた選対本部の出陣式でこう訴えた。
引用元:www.jiji.com(引用元へはこちらから)
温和な人柄のイメージが強い岸田氏だが、周辺からは「目の色が変わった」「戦う姿勢が前面に出るようになった」との声が漏れる。
出馬表明以来、新型コロナ対策、経済政策、外交・安全保障とテーマごとに記者会見に臨んでいる。「小出し」との批判もあるが、今後も地道に政策を訴え続ける考えだ。
今やトレードマークとなった「岸田ノート」には、全国各地で直接聞いた有権者の声が書きためてあるという。17日の演説会では広島弁も交えて自らの「聞く力」をアピール。「丁寧で寛容な政治」を体現するリーダーを目指す。
引用元:www.jiji.com(引用元へはこちらから)
信なくば立たず。
— 岸田文雄 (@kishida230) Sep 26, 2021
私は自民党を改革し、国民からの信頼を取り戻し、そして新しい政治を切り拓きます。
そのためには総裁選挙に勝ち抜き、総裁、そして内閣総理大臣になる。皆さんとともに、日本の未来を作ってまいります。
私に力を与えて下さい。
#チーム岸田 #自民党は国民政党
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この記事に問題があると考えた場合、こちらから作者様にご連絡をお願いします。
堅実ながらも大胆な政策提言を連日行い、
社会的弱者やネットの声にも耳を傾けている岸田前政調会長。
メディアはこぞって「河野優勢」と伝えるが、
総裁選を盛り上げているのは間違いなく岸田前政調会長だ。