7/14に放送される消えた天才に出ると思われる志村亮さんのまとめです
目次
古田敦也・長嶋一茂には大学日本代表時代に打てなかった天才ピッチャーがいた…しかし!天才はプロ8球団から誘われたにも関わらず、ドラフト直前でまさかのプロ入り拒否 その驚きの理由を元チームメイトの一茂が直撃! 30年ぶりの再会で明かされる真相とは
引用元:www.tbs.co.jp(引用元へはこちらから)
第66回選手権 桐蔭学園 志村亮投手
一回戦 福井商、二回戦 長崎海星と抜群の牽制テクニックを披露。牽制だけではなく、フィールディング、投球術も一級品。プロからの熱視線...
高校時代は甲子園にも出場
明日の「消えた天才」に志村亮が取り上げられるようですね。
— 福島の貴史@7/14歌舞伎座→日比谷、7/15渋谷→帝国劇場 (@fukushimanotaka) Jul 13, 2019
今の若い人は彼の事を知らないだろうけど、間違いなく世代No.1の選手だと思う。
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@carp_terry1 プロに行った志村亮というのは野球if堂々の一位かもですね
— さく。@7/13AS甲子園レフト (@saku_Hokuto) Jul 13, 2019
志村亮は別に消えたわけじゃなくてプロや社会人野球を選ばなかっただけでしょ。
— お江戸・うっど@RWC2019全力応援 (@Torad_2012) Jul 13, 2019
消えた天才に志村亮出るのか
— MJ丸 (@myhero_f37) Jul 12, 2019
「ドラフトで上位指名される選手は、アマチュアでそれなりの成績を残した人か、結果は出ていなくても潜在的な可能性を認められた人。もちろん、プロにヘタな選手なんてひとりもいません。そのなかで活躍するためには、入団してからも心技体のすべてをレベルアップさせる必要がある。プロになったことに満足して、努力を怠って、アマチュア時代よりも力を落とす選手も見ています。プロ野球は、『スター選手になる!』くらいの自信と覚悟がない人間は入ってはいけない世界だと思っていました」
引用元:sportiva.shueisha.co.jp(引用元へはこちらから)
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慶應時代の志村は、すでに自分の引き際についても考えていた。「尻すぼみの感じでやめるのは寂しいよなあ、と。それに、やめるときに野球をちょっとでも嫌いになってたりしたら、余計に寂しいだろうな、と。そんなことを、ふと思ったりしてました」
そんな思いを巡らすうちに、「いま、やめるのもいいかな、と。学生から社会人に入る大きな区切りの時期だし、いまやめる分に未練も一切ない」という境地に至ったという。やり残しがあったとか、野球に対して後悔があったとか、そんなことはまったくなかった。むしろ、「自分自身の野球観に対する満足感、納得感がかなりありました」と振り返る。
引用元:4years.asahi.com(引用元へはこちらから)
4年時はリーグ優勝こそ逃したものの、春の早大戦から秋の立大戦にかけて、リーグ記録を58年ぶりに更新する5試合連続の完封。さらに次の法政大戦の6回まで無失点を続け、53イニング連続無失点というリーグ記録を樹立した。これはいまも破られていない。「非常にいい結果で大学4年間を過ごすことができました。最後に記録を作ることもできましたし。それなら、ここでスパッとやめたほうがいいんじゃないか」。”引退”へと自分の背中を押すのに十分な実績を積み上げた。
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「野球で仕事を取りたくなかったので、その話はしませんでした。お会いした方には、決まって『慶應の志村くん?』『どうしてプロに行かなかったの?』と聞かれましたが、適当にやり過ごして……『野球の話はもういいです』と。野球を抜きに、社会人として、会社員として戦いたかった」
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「それまでずっと野球の世界にいたので、あえて野球関係の仕事は選びませんでした。そういう仕事に就いたら、野球以外の世界にいる人と接する機会がなくなるんじゃないかと思ったので。野球にはふたをして、いろいろな人とのつながりを広げていこうと考えました」
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「僕は、やる気しかないと思っていました。野球というスポーツが好きで、長く続けることができた。好きだから頑張れたし、腕も上がった。いろいろな業種の会社のなかから三井不動産という会社を選んだのは、不動産の仕事と三井不動産が好きだから。それならば、ここで頑張れるはずだし、結果も出せるはずだと、前向きなプレッシャーを自分にかけました」
入社は1989年4月、もうすぐ勤続30年になろうとしている。はじめの8年間はビルディング事業、その後は分譲住宅の用地取得を担当していた。現在は、三井不動産リアルティ株式会社ソリューション事業本部の部長を務めている。
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「自分がこの仕事に合っていたのかどうか、ほかの仕事をしたことがないので比較はできません。ただ、向いていないと思ったことは一度もありませんし、野球を続けなかったことを後悔したこともありませんね」
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三井不動産では軟式野球部に所属。三井グループの大会や不動産業界の大会なんかに、いまでも駆り出されている。「いま、ちょっと左肩が痛くて。昨年の大会で結構、投げすぎましてね」。硬式でも社会人のクラブチームである「WIEN‘94」(現WEIN’Zの前身)で監督、選手として活躍し、全日本クラブ選手権大会にも出場、優勝もした。
母校の慶大では、卒業後も技術委員のメンバーとして後輩たちの指導ーにあたる。「一時期やらなかったときもありましたが、ほぼ続けてます」。春と夏のキャンプに顔を出したり、リーグ戦が始まれば、神宮球場へ足を運んでアドバイスもしている。
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生年月日:1966年8月3日生まれ
年齢:52歳
出身:神奈川県平塚市
投打:左投げ左打ち
ポジション:ピッチャー
高校:桐蔭学園高校
大学:慶応義塾大学