2022年5月21日 古谷経衡が「シン・ウルトラマン」が話題になっています。それに関する情報、感想、画像などをまとめました
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作戦立案を担当する神永が、第一発見者だからって自ら救出に赴くこと自体にはななだしい非合理があり、その非合理さをわざわざ高めるような位置関係の明確化なんかしてたらそっちの方がはっきり「ヘタ」なんだわ。ゆるっと曖昧でないと成立しない。
— インクエッジ (@02Curry) May 21, 2022
「見つけたからちょっと行ってくる」てノリが通用する近さでないといけないし、近すぎると本隊も大被害を被るしかなくなる。発見場所が集落だからカメラが要救出者を見つけられ、被災場所が山中だから誰にも認識されずに済む。脚本どおり展開が成立しつつ位置・移動行程を明確に…できるわけないだろ!
— インクエッジ (@02Curry) May 21, 2022
繰り返すが「見つけたからちょっと行ってくる」てノリが通用すること自体がむちゃくちゃユルいんだよ。神永が退席した直後にも作戦立案が手詰まりで班長・田村が頭抱えてるんだから、物理救出なんて後ろに山ほど詰めてる訓練された実働部隊の誰かに任せ、神永は自分の仕事に専心するのがあたりまえだ。
— インクエッジ (@02Curry) May 21, 2022
庵野氏による脚本、メインプロットの根幹じたいが非合理すぎるんで、それを遵守してコンテを切り撮影する樋口氏にはどうしようもねえんだよ。あまりに一方的に庵野アゲ樋口サゲのすこぶる感情的な結論ありきで作文しようとしてしまうから、てんで的外れな文句しか言えないんだ。
— インクエッジ (@02Curry) May 21, 2022
オレもシン・ウルトラマンには様々問題点があると思うが、「優れた庵野氏の優れた脚本をヘタクソな樋口氏がヘタクソに撮ったから」なんていうアホ丸出し感情丸出しのちゃちい陰謀論とは考えがぜんぜん違う。「脚本→撮影→編集が完全ウォーターフォールで制作されたから」だと。
— インクエッジ (@02Curry) May 21, 2022
樋口氏は舞台挨拶にて「脚本と寸分違わない」とまでわざわざ言い切り、パンフでも尻叩きは脚本にすでにあったと述べている。映画作品にあっては脚本なんかたかが中間成果物でしかないのに、いちいち「庵野氏の脚本どおりに撮りました」をアピールするんだよな…。
— インクエッジ (@02Curry) May 21, 2022
いっぽう庵野氏は最終的に編集を担い、撮影現場にほとんど出向かず「編集室にこもって」編集作業を行った。脚本→撮影→編集はシーケンシャルな工程だけど、想定したように撮れないことが撮影段階ではじめて判明して再検討することもあり、本来「脚本と寸分違わず」なんてのが美点になるはずがない。
— インクエッジ (@02Curry) May 21, 2022
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編集工程は編集で撮影素材からしか編集できず、他人に任せたありものを自分のセンスになるべく合うようつぎはぎした結果、「セオリーに沿った映像の進行から一部分が抜けたようなカットの繋ぎ」になったりする。twitter.com/02Curry/status…
— インクエッジ (@02Curry) May 21, 2022
「多岐にわたり介在し決定する総監修者が据えられているが、他の仕事で忙しいから一部分(そして当人にとって最も肝心なこだわる部分)だけ他人に任せる」ていう制作体制そのものが幾つもの問題を抱える理由であって、こんなん誰が撮ろうがなるべくしてなるものよ。
— インクエッジ (@02Curry) May 21, 2022
我々は映画を観て「脚本が」「撮影が」と認識してるけど、正確にいえば樋口氏のいう「”脚本”と寸分違わない」内容にはなってねえんだよ。キスシーンは「脚本に書いてある」のに「庵野氏自身が編集で斬り捨てた部分」なんだから。「映画に何かの描写がなかった」は「脚本になかった」とイコールでない。
— インクエッジ (@02Curry) May 21, 2022
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