大山加奈には、「常に目標であり憧れの存在」と語る“1歳下の妹”がいた!
小学校・中学校・高校と各世代で日本一となり、将来は日の丸を背負うと期待されたが、24歳の若さで突然バレーボールを辞めた…
栗原恵と共に「メグカナ」の愛称で大ブレイクし、日本代表でも活躍した大山加奈には、「常に目標であり憧れの存在」と語る“1歳下の妹”がいた!
小学校・中学校・高校と各世代で日本一となり、将来は日の丸を背負うと期待されたが、24歳の若さで突然バレーボールを辞めた…。
追跡すると、バレーボールを辞めた裏には姉・大山加奈が深く関わっていた!
さらに、姉妹の絆が起こした奇跡の復活劇が!
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春高バレーでもどんなに私が頑張っても、結局は“大山加奈の妹”。ひとつ上には姉、ひとつ下には木村沙織がいて目立っていて。間に挟まれて、そうですね、当時は歯がゆい思いもありました。
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代表に選ばれなかった年、東レのチームメイトで先輩の荒木絵里香さんと後輩の木村沙織が「今年はきっと未希も代表に選ばれるんじゃない?」って言ってくれていたんです。本人たちは言ったことさえ覚えていないかもしれませんが(笑)一緒にバレーを頑張る二人に認めてもらえたので、私としてはもうそれで充分だと思えて。満足できました。
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日本一をあまりにたくさん獲ったことです。小学1年生から東レまでインドアバレーをやってきて、日本一になったのが19回。おそらくバレーボール界で最多数です。もちろん誇りではあるんですよ。ただ、インドアで日本一を獲っても「あ、またか」って(笑)心の底からの嬉しいという感情や大きな達成感、目標が消えてしまって。
そんなときにビーチバレーのトップ選手として活躍する友人に誘われたんです。「未希はどのポジションでもプレーできるから、ビーチが合ってるよ」って。ビーチバレーってレシーブ、トス、スパイクなど全部をこなす必要がある競技。たとえば“パワフルカナ”と呼ばれる姉は、強烈なスパイクが武器だけどレシーブは少し苦手。対して私はすべてのポジションで平均点をとれるプレーヤーでした。
あとは、東レでセッターに転向したんですが、セッターとしては背が高くて大柄で良かったんですね。上り調子でいちばんいい時期でもあったから、代表になることをどこか期待して頑張っていたんですけど、結局、選ばれなかったんです。それで踏ん切りがついて。よし、新しいことにチャレンジしようとビーチバレーの世界に飛び込みました。
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元プロビーチバレー選手・大山未希さん スペシャルメッセージ
元バレーボール、元プロビーチバレー選手・大山未希さんより、スペシャルメッセージを頂きました! https://ameblo.jp/miki-ooyama/
東レ・プレシジョンで関東営業部のアシスタントとして電話応対や資料作成などをやっています。東レは現役時代にずっとお世話になっていた会社だし、恩返しもできたらなぁって。今、仕事がとっても楽しくて。表に出る役割も好きだけれど、裏方として支えるのも結構好きなので。
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今もバレーボール教室やイベントに関わったり、遊びでやったりして楽しんでいますが、選手として本気でやるのはもういいかなって。充分やり切りました。引退したのは、28、29歳くらいだったかな。
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ビーチハンドボールの
小松大地さんと結婚されています