【涙腺崩壊】読んだだけで思わず涙!泣けるコピペ集
涙無しには見られない!読んだだけで泣けてしまうような、悲しい系や感動系のコピペ集です。
涙なしには読めない泣けるコピペ
去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。
使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。
その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。
40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。
最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。
私の一生の保護メールです。
「お前からのメールがやっと見られた。
返事に何日もかかっている。
お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
孫が生まれたら毎日子守してやる。」
うちは貧乏な母子家庭で、
俺が生まれた時はカメラなんて無かった
だから写真の変わりに母さんが
色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた
絵は上手じゃない
ただ、どうにかして形に残したかったらしい
ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた
絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか
『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで
小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、
そのアルバムを発見された
めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた
友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊を
バラバラに破いてゴミ箱に捨てた
パートから帰って来た母さんが
それを見つけて、泣きだした
破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた
翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から
絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた
「恥ずかしい思いさせてごめんね。
でもね、これ、母さんの宝物なんよ」
申し訳なさそうに優しくそう言われると、
涙が溢れ、俺はごめんなさいと謝った
なんか機械音痴の母がデジカメを買った。
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく
「どうすればいいの?」って聞いてきたが
「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。
そしたら「・・・ごめんね」と一言。
そんな母が先日亡くなった。
遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら
俺の寝顔が写ってた・・・。
涙が止まらなかった。
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた
昔、初めてサイト作ったとき、嬉しくて友達や妹に言って回った
検索エンジンからもぼちぼち人がくるようになり、
意気揚々とレンタル掲示板をつけた
書き込みしてくれる人いるかな?荒らされたらどうしよう なんて思っていたが、
好意的なレスばっかりで嬉しくなった
そのうち荒らしてくるやつが現れたので、それを削除しようと掲示板の管理画面に入った
荒らしてくるやつのIPを見るついでに、好意的なレスをしてくれた人のIPもなんとなく見た
好意的なレスはすべて同じIP しかも俺と同じIP(うちはマンションケーブルで固定IPだった)
そう、妹が自演で盛り上げてくれてたんだ
俺は泣きながら掲示板とサイトを削除した
妹が今年の夏に亡くなったんだけどすごいハイテンションな子だった。
ある時から急に別れ際「アデュー」しか言わなくなったの。
妹らしい可愛いおふざけだなーって思ってたら
その後1ヶ月もしないうちに病院で静かに息を引き取ったのさ。
そして昨夜ネットでなんとなくアデューの意味調べた。
フランス語でバイバイの意味だろ。って思ってたら違ったんだよ
「次、いつ会えるか分からない時のあいさつ。
長い別れを告げるあいさつ。」
あぁ妹は覚悟してたんだな。ってその時はじめて知って泣いた
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った
写真らしかった。俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。
母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、
見たがらないものをあまり 無理強いするのもよくないと思って、
そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。
しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には
父の指紋がびっしり付いていた。
普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。
今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。
その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。
娘が六歳で死んだ
ある日突然、風呂に入れている最中意識を失った。
直接の死因は心臓発作なのだが、持病のない子だったので
病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受けた。
葬式には別れた女房が「彼氏」同伴でやって来たが、
もはや俺にはその無神経に腹を立てる気力もなく、機械的にすませた。
初七日も済んで、俺は独りで映画を観にいき、娘が観たがっていた
ゴジラととっとこハム太郎の二本立てを観ることにした。
とっとこぉはしるよハム太郎♪の歌を聴いた瞬間、やっぱり俺は泣いた。
6歳にもなって活舌の悪い娘が、この歌を一生懸命覚えて、
とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお♪と歌っていたっけ。
ハム太郎の紙コロジーだってクリスマスに買ってやるつもりだった。
女親のいない家庭だったが、少しでも女の子らしくと、
服を買うときだって、面倒がらずに吟味を重ねた。
学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだったし
成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。
女房と離婚してから俺は100%子供のために生きることにして、
必死にやってきたのに、この世に神様なんて絶対いないんだと知った。
一人暮らしを始めるにあたって、意気込んでフライパンを買った
ブランドとかわからんが、とにかく28cmのやつを1本
それまで、料理なんて全くしなかったんだが一人暮らしだから自分で作るしかない
そう思って、買った
空焼きしたり、油を馴染ませたり、手入れを怠って真っ赤に錆びさせたり
それを金たわしでゴシゴシやって、また空焼きして油を馴染ませたり
とりあえず、目玉焼きは、上手になった
彼女ができた
すんげーかわいいし素直
だけど、料理はぜんぜんダメだったw
たまの休みの日には俺が、ちょっとだけ贅沢してステーキを焼いた
彼女はミディアム、俺はレアが好きだった
このフライパンは、お前と出会う前から俺と一緒に暮らしていると言ったら
彼女はふくれっ面になって、それから笑った
俺と彼女は幸せな時間を過ごした
料理が下手な彼女は、目玉焼きを何度も焦がした
俺は笑いながら、焦げた目玉焼きを美味しく頂いた
大事なフライパンなのに、ごめんなさいと、彼女は詫びた
大丈夫だよと金タワシでこすって空焼きしたら、
彼女はフライパンの深く碧い色を「きれいね」と言った
彼女は、突然、いなくなった
事故だった
俺は今も、時々、フライパンを金タワシでこすって空焼きする
深く碧い色が蘇る
彼女の「きれいね」という言葉が蘇る
28cmのフライパンは、俺と一緒にいる
焦げた目玉焼きはもう食べられないがフライパンのおかげで、
彼女の「きれいね」は今でも、いつでも聞けるんだ
中三の頃、母が死んだ 俺が殺したも同然だった・・・
あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたが、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった
通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんよ
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている
ある男が好きな女性の気を引こうと
プレゼントを毎日宅配便で女性に送り続けた
宅配便の人は毎日それをせっせと届けた
一年後、彼女は宅配便の人と結婚した
嫁とテレビ見てる時に何故か「俺も結婚したいなあ」と言ってしまった
それから一言も口を聞いてくれない
昨日気がついたら車で3時間かかるのにいつの間にか実家に帰っていた。
案の定、お袋は
「突然どうしたの?何かあったの?」
と心配ばかり。
思わず
「何もないけど・・・帰ってきたら不都合だった?」
と悪態ついてしまった・・・
その後、ゆっくりテレビを見ていたら、お袋が
「風呂丁度いいけどついでに入る?」
と言って来た。
言われるがままに風呂に入った。
かーちゃん・・・綺麗な湯と背中に感じる冷たい浴槽が身にしみるよ。
この寒い中、冷えた残り湯で俺の為だけに風呂を洗って急いで
湯を張ってるお袋の姿がハッキリ見えて、風呂場で泣いた。
風呂から上がると晩飯ができていた。
お袋は
「大したものじゃないけど、晩御飯の残り物で悪いけど
コレでも食べて明日からも頑張ってね。」
と・・・
食器を下げる時に気付いた。
晩御飯の残り物は白飯だけじゃないか・・・
他の料理は明らかに今作った物だった。
「上手かった!」
とだけ言い残しトイレに行った。
お袋の気持ちを考えて・・・又泣いた・・・
還暦を迎えた母に誕生日おめでとうメールを送った返信。
件名:ありがとう
本文:ついに60代になってしまいました。
思い返せば、30代は小さなあなた方を夢中で見つめていました。
40代は、若々しく成長していくあなた方に見とれていました。
50代は頼もしく輝いていくあなた方に目を奪われていました。
あなた方がみんな素敵な伴侶を見つけ、巣立って行ってから迎えた60代は
20代の頃に戻ってもう一度お父さんと見つめ合おうと思います。
うっかり感動してしまった。
夏休みで実家に帰省していた最後の日に母親が
「これ持っていきなさい」と、おにぎりを渡された。
すでにタオルや洗剤を、お土産?として持たされていた俺は、
「これ以上は、荷物が増えるから、こんなんいらねー」って断ったんだけど、
母親は「いいから、この位持っていけるでしょッ」と強引にカバンに詰め込みました。
それで、お互いにムッとして気まずいままに、俺は実家を出ました。
でも実際、住んでいる所へ戻る途中、お腹が空いたので、
そのおにぎりを食べたのですが、何年かぶりに食べた母親の大きなおにぎりは、
コンビニのおにぎりよりも断然に美味しかった。
母さん、ゴメンナサイ、アリガトウ。
嫁がしょっちゅう黒コゲの料理を出してくるんで、ちょっと危機感を持ってもらおうと思い
エイプリルフールに「会社の定期検診で癌が見つかった」と言った
嫁は少し驚いていたが、その後癌は嘘だとネタバレした途端、めっちゃガッカリされた
あれから一カ月近く経つが、あの日以来、オレは嫁のメシを食っていない
漏れが就職して初めてのボーナスが出た日、職場の皆で呑みに行った。
ベロベロに酔っ払って、ゲーセンは行ったらケーキの形したぬいぐるみのUFOキャッチャーがあった。
3000円ぐらい使って1コ取って、気になってた同僚の女の子にあげようと思ったら、「いらな~い」って言われた。
どうしていいやらわからずに、とりあえずカバンに入れてそのまま持って帰った。
ケーキのイチゴの部分を押すと、電子メロディで「ハッピーバースデー」の曲が流れた。
ちょうど母親の誕生日が近かったので、それとなく「母ちゃん、これあげる」って渡した。
今まで誕生日プレゼントなんてあげたのは2、3回しかなかった。照れくさかったから。
母親は驚いた顔をしつつ、ニコニコしながら受け取った。
「ここを押すとメロディが流れるから」って教えると、延々とハッピーバースデーを聴いていた。
2年後の母親の誕生日。
仕事がキツくて夜中まで働いた翌朝、起きる時間まであと20分あった。
朝の20分の睡眠時間は貴重だった。
なのに、耳元で耳障りな電子音が聞こえてきた。
例のケーキのぬいぐるみだった。
母親が、
「メロディ止まらなくなっちゃったのよ、なんとかして」
と言って立っていた。
「知らねーよ。眠いんだから出て行け」
と言ったら、母親はぬいぐるみを俺の枕元に置いていった。
けたたましく鳴り響くハッピーバースデーのメロディに、漏れはブチ切れて
「ふざけんなよ、うるせーんだよ!」
といってぬいぐるみを廊下に叩きつけた。
唖然としてぬいぐるみを拾い上げる母親。
メロディは鳴らなくなっていた。
母親がうっすらと涙を浮かべていたのに気が付いてはいたが、そのままベッドにもぐりこんだ。
朝食は無言のまま。バツが悪いのでさっさと出勤した。
それから母親がそのぬいぐるみの事を口にする事はなかった。
でも、漏れは知っている。押入れのたんすの中にそっとしまわれている事を。
もう8年ぐらい前の話だ。
母親はまだ健在だが、どうしてもあの時自分がしてしまった事を後悔している。
なんとか、あのぬいぐるみを直してやりたい。
誰か、知らないだろうか?
ボタン電池ぐらいの大きさで、押すと電子メロディでハッピーバースデーが流れる小さな回路を。
どこか売っていたら教えてくれ。頼むから…
当時の俺はリア厨だったよ。
そのころ俺はどうしてもほしいものがあってな。
今考えるとどうしてそんなものほしがったんだ?と首を傾げたくなるんだが。
俺は地球儀がほしかった。もちろん国名、地名が入ってるやつな。
俺はそれが欲しくて欲しくて、おやつも我慢して、親の手伝いを必死こいてやって毎日毎日、少しずつ小金をためていたんだ。
そうやってちまちま小金をため始めて1年ぐらい経って、ようやく念願の地球儀が買えたんだ。
今でも覚えてる。青くピカピカ光ってて、友人にも見せびらかしたよ。
でもな・・・。
買 っ た 2 日 後 に ソ 連 が 崩 壊 し て し ま っ て な 。
三日三晩泣きどおしだったな。
出展:Youtube
2ちゃんねるの泣けるコピペを漫画化してみた Part 1 【マンガ動画】 | Sad Manga Anime
2ちゃんねるの泣けるコピペを漫画化してみた Part 1です。 動画が気に入っていただけたら是非チャンネル登録をお願いします。 沢山のコメントお...
いい話で泣ける
アメリカのとある地方に野球観戦の大好きな、
でも、目の見えない少年がいました。
少年は大リーグ屈指のスラッガーである選手にあこがれています。
アメリカのとある地方に野球観戦の大好きな、
でも、目の見えない少年がいました。
少年は大リーグ屈指のスラッガーである選手にあこがれています。
少年はその選手へファンレターをつづりました。
「ぼくは、めがみえません。でも、毎日あなたのホームランをたのしみにしています。
しゅじゅつをすれば見えるようになるのですが、こわくてたまりません。
あなたのようなつよいこころがほしい。ぼくのヒーローへ。」
少年のことがマスコミの目にとまり、二人の対面が実現することになりました。
カメラのフラッシュの中、ヒーローと少年はこう約束します。
今度の試合でホームランを放てば、少年は勇気をもって手術に臨む、と。
そして、その試合、ヒーローによる最後の打席。2ストライク3ボール。
テレビや新聞を見た多くのファンが、スタジアムで固唾をのんで見守り、
少年自身も、テレビの中継を祈る思いで聞いています。
ピッチャーが投げた最後のボールは、
大きな空振りとともに、キャッチャーミットに突き刺さりました。
全米から大きなためいきが漏れようとしたその時、
スタジアムの実況が、こう伝えました。
「ホームラン! 月にまで届きそうな、大きな大きなホームランです!」
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いてお いたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。
「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」
夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw
昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」っていって、夫に薬を飲ませた。
夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子の家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が
「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。
俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。
あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。
当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。
それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。
そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。
今年の1月話。
うどん屋で、顔色の悪いガリガリのおじいさん1人と孫娘らしき美女3人が隣だった。
孫娘の1人は振袖を着ていて「あぁ成人式かー」と思ってぼんやり見てた。
孫娘たちは食べながら、
C「Aちゃん(着物の子)の着物キレイ!」
A「えへへ、華やかでしょー。」
B「私は来年、お母さんの振袖借りるんだ」
C「あ、あれ可愛いよね!私も再来年かりようかな」
A「あんたは背高いから無理でしょ。てか再来年とか気早いw」
なんて終始キャッキャしてて、おじいさんは目を細めてニコニコ。
でもふと「Cの成人式まで生きてるかなぁ」ってつぶやいて一瞬シーンとなった。
多分病気なんだろう。素人が見ても体悪いんだなって顔色だった。
3人ともすぐ
「やだー、おじいちゃん何いってるのwまだ70でしょ!」
「うん、あと20年は生きてもらうwww」
「そうだよwwこれから私達、卒業・就職・結婚・出産というイベントだらけwww」
「こりゃ見逃せないwwしかも3人分www」
「全然死んでる暇ないwwwどんまいwww」
ってふざけてたけど、3人とも涙目だった。
帰るときも
A「私バイトしてるから、ここのお会計は任せて!」
B「私だってしてるし!おじいちゃん帰りにケーキ買ってあげる!」
C「私だって!」
っておじいちゃん喜ばせようと張り切ってて可愛かった。
おじいさんが良くなって成人式どころか、優しい孫娘さんの結婚式まで出られますように。
ヘタレプログラマーは,今日も仕事で疲れきって,遅くなって家に帰ってきた。すると,彼の5歳になる娘がドアのところで待っていたのである。彼は驚いて言った。
「まだ起きていたのか。もう遅いから早く寝なさい」
「パパ。寝る前に聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「パパは,1時間にいくらお金をかせぐの?」
「お前には関係ないことだ」ヘタレプログラマーである父親はイライラして言った。「なんだって,そんなこと聞くんだ?」
「どうしても知りたいだけなの。1時間にいくらなの?」女の子は嘆願した。
「あまり給料は良くないさ・・・20ドルくらいだな。ただし残業代はタダだ」
「わあ」女の子は言った。「ねえ。パパ。私に10ドル貸してくれない?」
「なんだって!」疲れていた父親は激昂した。「お前が何不自由なく暮らせるためにオレは働いているんだ。それが金が欲しいだなんて。だめだ!早く部屋に行って寝なさい!」
女の子は,黙って自分の部屋に行った。
しばらくして,父親は後悔し始めた。少し厳しく叱りすぎたかもしれない...。たぶん,娘はどうしても買わなくちゃならないものがあったのだろう。それに,今まで娘はそんなに何かをねだるってことはしない方だった・・・
男は,娘の部屋に行くと,そっとドアを開けた。
「もう,寝ちゃったかい?」彼は小さな声で言った。
「ううん。パパ」女の子の声がした。少し泣いているようだ。
「今日は長いこと働いていたし,ちょっとイライラしてたんだ・・・ほら。お前の10ドルだよ」
女の子は,ベットから起きあがって,顔を輝かせた。「ありがとう。パパ!」
そして,小さな手を枕の下に入れると,数枚の硬貨を取り出した。
父親はちょっとびっくりして言った。「おいおい。もういくらか持ってるじゃないか」
「だって足りなかったんだもん。でももう足りたよ」女の子は答えた。そして,10ドル札と硬貨を父親に差しのべて...
「パパ。私,20ドル持ってるの。これでパパの1時間を買えるよね?」
参考
泣けるコピペwiki 涙無しには見られない、思わず泣けてしまうような、悲しいコピペや感動的コピペの紹介wikiです。