沖縄の宝首里城、突然焼失してしまいました。何が災いしたのか?火災を招いたズサン管理は民主党政権時代にさかのぼります。。。
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31日未明から那覇市にある首里城で11時間にわたって続いた大規模な火災では、城の主要な建物の「正殿」や「北殿」、それに「南殿」などが全焼
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電気系統設備が最も集中している正殿北東の部屋が出火場所とみており、その部屋の分電盤の床下配線と、分電盤側面のコンセントに取り付けられていた延長コードが見つかった
引用元:ryukyushimpo.jp(引用元へはこちらから)
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防災設備は消火器や屋内消火栓、屋内消火栓ポンプユニット、放水銃、ドレンチャー設備などがあったが、スプリンクラーなどの消火設備は設置されていなかった
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鳩山氏は民主党が政権を獲得する直前の09年夏の衆院選で「最低でも県外」と沖縄で訴え、県内世論が辺野古移設反対に傾くきっかけをつくった。鳩山氏は首相就任後に県外移設を模索し、党首討論では「腹案を持ち合わせている」とまで発言したが、結局は辺野古移設に回帰
引用元:www.j-cast.com(引用元へはこちらから)
民主党政権下の2012年5月、宜野湾市で開かれた復帰40周年記念式典で、野田佳彦首相は首里城を「18年度をめどに県に移譲する」ことを明らかにした。
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当時、県民の中には「琉球王国のシンボルである首里城を取り戻す」という発想から、県への移譲を歓迎する意見があった。地元の声に応えて県への移譲を打ち出した形だが、政府の中で各種経費の削減圧力が高まっていたことも見逃せない。
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89年から始まった工事には宮大工、漆職人などが携わり、本土復帰20周年にあたる92年に正殿などが完成して首里城公園が開園した。その後も園内の整備は続き、2019年1月、30年に及ぶ復元工事が全て完了したばかり
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国の施設を委譲するというのはなかなか簡単ではないので、そうした当時の総理大臣の御発言を受けて、この年の平成24年9月から国と沖縄県等において、具体的にはどうやってそうした方向を進めていこうか、あるべき姿をどうしようかという協議を進めてきた
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沖縄県が正殿、北殿、南殿等の有料施設の管理運営を主体的に行うこととして、平成31年2月1日に、今年完成したことを機に、都市公園法に基づいて国土交通大臣から県への設置管理許可を行った
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県は沖縄美ら島財団に管理業務を委託した。沖縄美ら島財団は公園や水族館の管理をしていた団体で、大型の城や寺社を管理した経験はない。
引用元:www.thutmosev.com(引用元へはこちらから)
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ここで沖縄県民との関係はめちゃくちゃに…