株式会社パソナグループが第2回能登半島地震復興応援フェア「石川伝統工芸品チャリティー販売会」を開催
株式会社パソナグループは、PASONA SQUARE前の情報発信スペース「Annex Aoyama」(東京・南青山)にて第2回能登半島地震復興応援フェア「石川伝統工芸品チャリティー販売会」を開催!3月12日(火)~31日(日)の日程で、輪島塗をはじめとする伝統工芸品の展示・販売を開催。
パソナによる被災地支援イベント
2024年1月1日に発生した能登半島地震では、被災地域で暮らす人々の生活や産業、伝統文化に深い傷もたらしました。これらを支援するための様々な活動が展開される中、地域で受け継がれる伝統工芸を絶やさないために、伝統産業や職人の活動支援が喫緊の課題となっています。
パソナグループでは被災地への即時的な経済支援として伝統工芸品を購入しました。購入額と同額でこれを販売し、売上の全てを被災地復興のための義援金として寄付する予定です。
能登半島(石川県)の伝統工芸とは
日本全国にはさまざまな伝統文化・伝統工芸品がありますが、経済産業省により伝統工芸品として認定を受けているものは230です。そのうち、石川県には10の伝統工芸品があります。この数は東京都、京都府、新潟県、沖縄県、愛知県に次ぐ6番目の多さです。
能登半島では古くから多くの伝統工芸品が生み出されてきましたが、特に有名な物を一つ挙げるとすれば「輪島塗」でしょう。日本を代表する伝統工芸品の一つで、全国的な知名度はもちろん、海外でも高い人気を誇ります。経済産業省の指定品目にも認められています。
輪島塗以外にも「加賀友禅」や「金沢箔」といった具合に、能登半島では織物や漆器、焼き物などさまざまな伝統工芸品がつくられてきたのです。
輪島塗の歴史と魅力
輪島塗とは
輪島塗は能登半島先端に位置する輪島市が発祥の地です。熟練の職人による繊細な技術で生み出される漆器は美しい光沢が魅力で、古くから「高級漆器」として愛されてきました。
輪島塗のはじまりについては諸説ありますが、一説によると室町時代ともいわれています。輪島市中心部にある重蔵神社で見つかった「朱塗扉」が最古の輪島塗と考えられており、制作時期は1524年頃です。その後、輪島塗の生産は全国的に拡大してゆき、北海道の択捉島からの注文記録も残っています。
明治維新後は近くの豪商や裕福な農家を中心に発展し、旅館などの業務用製品の生産も活発になっていきます。日本屈指の漆器として知られるまでにさほど時間はかかりませんでした。1975年には国の伝統工芸品に指定され、その2年後には重要無形文化財として認定を受けました。
輪島塗の魅力
輪島塗の魅力は、美しい光沢と丈夫さにあります。
輪島塗には、珪藻土や固まった火山灰を砕いて粉状にした「地の粉」が用いられています。この良質な土を下地として漆と混ぜて使うことで、丈夫な漆器をつくることができるのです。安土桃山時代から江戸時代にかけて完成した独自の技法により、輪島塗は「壊れても修復できる漆器」を生み出しました。
また、器の弱った部分や傷みやすい部分には、綿布や「着せ物漆」と呼ばれる特殊な漆を貼り付けます。「布着せ」と呼ばれる技法で、これも輪島塗ならではの技法です。
完全分業制による職人技術で木地づくり、塗り、蒔絵といった一つ一つの作業を丁寧に施し、手間を惜しまずつくられた輪島塗漆器は、非常に堅牢かつ美しい光沢を持つ漆器となりました。見栄えだけでなく生産性をも重視した漆器として、その魅力は今もなお多くの人を魅了しています。
伝統工芸品で被災地を支援しよう
災害被災地を支援するにはさまざまな方法がありますが、食料や生活用品、行政サービスといった方面に目が向きがちです。しかし、現地ならではの伝統文化や職人技術についても、災害により途絶えてしまわないよう支援する必要があります。
生活の中で必須ではないもの、例えば伝統工芸品や職人技術などは、被災地支援においてどうしても後回しになってしまいます。しかし、一度途絶えてしまうと復興させるのは非常に難しく、将来的に見ると現地の大きな損失になると考えられるでしょう。
生産体制や流通体系の再整備など、復興には多数の手間と人員、費用がかかります。すべてをまかなうことは難しくても、少しずつ復興に向けて現地の人々が前向きに取り組めるよう、被災地以外からの支援は欠かせません。そのためには、現地の伝統文化・伝統工芸品を知り、それを購入することが支援につながります。
能登半島への復興支援が本格的に始まった今だからこそ、パソナグループが主催する「石川伝統工芸品チャリティー販売会」のように、伝統文化や伝統工芸品を支援する取り組みにも注目していきたいものですね!