【斉藤誠司】 ブラジルの名門サンパウロFCで活躍した日本人
日本時代は柏レイソルに所属。各年代別の日本代表でプレーした。16歳で世界チャンピオンにも輝いたサンパウロFC(ブラジル)に入団。その後は10ヵ国のプロサッカーリーグでプレーして中東時代は1億円プレーヤーになる。ブラジルでは日系人を対象にサッカースクールやレストランを立ち上げ経営者として活動もしている
斉藤誠司とは?
名前 斉藤誠司
職業 プロサッカー選手
生年月日 1986年5月27日
出身地 埼玉県。身長183㎝。体重82㎏。
10ヵ国のプロサッカーリーグでプレーした斉藤誠司。日本時代は柏レイソルに所属。各年代別の日本代表でのプレー経験を持つ。16歳で単身ブラジルに渡りサンパウロFCに入団。18歳でサッカー大国ブラジルでプロデビューを果たす。その後は10ヵ国のプロリーグを渡り歩き今現在はマカオリーグでプレーする。本業はプロサッカー選手だが副業でもブラジルで日系人を対象にサッカースクールやレストランを経営する。指導者としても海外5ヵ国の監督経験、ドイツ名門のドルトムント公認指導者研修経験もある。現地には本人のファンクラブがあり現在までに1000人前後の日系ブラジル人が会員になっている。
日本時代
柏レイソルユース、サテライト(プロ2軍)に入団した。各年代別の日本代表でもプレーした。ユース時代は本田圭佑、細貝萌、家長と共にプレーした。
南米時代
16歳でブラジル名門サンパウロFCの入団テストに合格した。元ブラジル代表のカカや現ブラジル代表でユベントス所属のエルナネスと共にプレーした。その後も国内の複数のプロチームでプレーした。
アジア時代
アジアではシンガポール、インドネシア、モンゴルなどでプレーした。2014年には日本のJリーグの複数のクラブからオファーが届いたが断り、インド強豪クラブのサルガオカーFCから高額年俸でオファーが届き移籍した。
ヨーロッパ時代
ヨーロッパ時代はポルトガル、ラトビアなどでプレーをしていたが、2012年にポーランド1部プロリーグ所属のKORONA KIELCEからオファーが届き移籍した。ポーランド移籍時は日本のYahooトップニュースや複数のメディアで報道された。
中東時代
2016年には中東バーレーンプロリーグに完全移籍した。契約金と年俸は共に5000万円で1億円プレーヤーになる。
10ヵ国のプロサッカーリーグを制覇
16歳から単身ブラジルに渡り人生の半分を海外でサッカーと共に過ごす。
柏レイソル(ユース日本代表)
サンパウロFCユース ブラジル
サンパウロFC ブラジル
カンバセレス アルゼンチン
ファオンFC ポルトガル
WarriorsFC シンガポール
Korona Kielce ポーランド
サルガオカーFC インド
FKツクムス ラトビア
PSMマカッサル インドネシア
シトラクラブ バーレーン
ウランバートル モンゴル(レンタル移籍)
シトラクラブ バーレーン
Chao Pak Kei マカオ
日本帰国時には学校で講演会活動もしている
日本帰国時には小学生から大学生までの幅広い年代を対象に講演会活動、サッカー教室をしている。
過去に埼玉県岩槻市ポーツ栄光賞に選ばれ埼玉テレビや新聞でも多く報道された。
経営者、指導者としても活動している。ドイツ名門のドルトムントにて指導者研修経験もある。
ブラジルではサッカースクールと飲食店を経営している。現在までにスクール生会員数は200名を超えている。ブラジルサッカー協会公認コーチプロライセンスを保持してる為に海外5ヵ国の監督、ドイツ名門ドルトムント公認の指導者研修経験もある。
2018年に元婚約者を病気で亡くしている
元婚約者を病気で亡くしている事を複数のメディアが報じている。病名は公表されていない。
2019年に中東サウジアラビアからオファーが届く
1月に中東サウジアラビアプロリーグから高額年俸でオファーが届き仮契約を結んだ。ブラジルでも3店舗目となるカフェ店をオープンさせるなど活躍の場を広げている。海外では現役プロ選手を続けながら様々なビジネスを成功させている日本人と話題になり地元紙でも報じられている。