自民党総裁選の投開票日が近づく中、岸田前政調会長に強力な援軍が付いた。かつて自民党総裁を務めた谷垣禎一氏が岸田前政調会長の支持に回ったのだ。現在は政界を引退しているが、自民党再興と震災復興に尽力した人物として知られ、党員からの支持も厚い。彼の援護が「岸田総理」誕生の後押しとなるかもしれない。
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平成二十三年三月十一日午後二時四十六分、三陸沖から茨城沖を震源とするマグニチュード9・0の巨大地震が発生しました。死傷者は二万人近くに達し、東京電力福島第一原発事故により全村避難事態が生じるなど未曽有の災害となりました。自民党は震災発生直後の午後三時に谷垣総裁を本部長とする「東日本巨大地震緊急災害対策本部」を設置しました。これは菅内閣の対策本部設置より早い対応です。
三時四十五分の初会合で、谷垣総裁は挙国一致でこれに当たるとし、与野党の枠を超え、菅内閣を全面支援する方針を表明します。対策本部の協議では「補正予算も必要となる。わが党も協力していく」と述べ、その後、谷垣総裁は菅首相に電話で、その旨を伝えました。
一方、官邸で指揮を執るべき最高責任者たる菅首相は福島第一原発に震災翌日の十二日朝、ヘリコプターに乗って出向き、約五十分間にわたって視察します。その結果、現場作業員の作業着手が遅れ、対処が後手に回ってしまいました。菅内閣の危機管理能力のなさが露呈してしまったのです。
引用元:www.jimin.jp(引用元へはこちらから)
十九日、菅首相は谷垣総裁に副総理兼震災復興担当相としての入閣を打診しました。震災対策を大義名分に自民党との「大連立」によって政権安定を図ろうとしたのです。谷垣総裁は「今の態勢をいじる時ではなくて、災害復旧と言いますか、被災者の支援、原発の対応等々に全力を尽くす時ではないか。あまりにも唐突なご提案だと思います」と菅首相に釘を刺し、「これからも全面的に協力するつもりである」として、これを拒否しました。
谷垣総裁は三月末から四月に、山形、宮城、福島、 岩手各県の被災地や避難所を視察し、党幹部も手分けながら、救援物資の供給、被災者の救済に尽力しました。さらに五月十八日には、党内の英知を結集して作成した「東日本大震災復興再生基本法案」を衆院に提出します。これは、その後、政府案との擦り合わせの結果、東日本大震災復興基本法として結実します。
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谷垣総裁も入閣云々とは別に、首相官邸を何度も訪れ、菅首相に直接様々な要望しています。 また、先週末は宮城県や福島県からの避難者が多くいる山形市や上山市の避難所を訪れるとともに、宮城県、福島県の被災地を訪れ、現地の皆さんから多くのご要望を聞いてきました。今週末には岩手県に入り現地の要望や苦労を伺ってきます。更に、宮城県や岩手県、福島県出身の国会議員が自分の家や家族が被災に遭いながらも避難所を回り、皆さんの要望を聞きその実現に努力をしたり、その他の議員も連日被災地に入り、自分達でチャーターしたトラックで救援物資を搬送したり、炊き出しを行うなど奔走しています。
引用元:www.e-toshiaki.jp(引用元へはこちらから)
自民党の谷垣禎一前幹事長(72)が政界を引退する意向を表明し、党関係者に「谷垣ロス症候群」が広がっている。谷垣氏は昨年7月に自転車事故で大けがを負いリハビリを続けていて、これまで順調な回復と復帰への意欲が伝えられてきた。それだけに突然の引退表明は驚きをもって受け止められ、復帰を待ちわびていた側近らは喪失感にかられている。
「今回は立候補いたさず、後進に道を譲り、政界を引退させていただくことにいたしました」
谷垣氏は先月25日にコメントを発表し、次期衆院選(10月10日公示-22日投開票)に出馬しない意向を正式に表明した。今夏までは来秋の衆院解散・総選挙が有力視されていたが、安倍晋三総理(63)が北朝鮮情勢などを踏まえて早期解散を決断したため苦渋の判断を迫られたとみられる。
※2017年10月5日の記事
引用元:www.sankei.com(引用元へはこちらから)
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安倍総理も谷垣氏に特別な敬意を払っている。9月30日には解散後初めての遊説先に谷垣氏の地元・京都を選んだ。後継候補の応援演説で「谷垣先生にもっともっと議員として政権を支えていただきたかった」と引退を惜しみ、「谷垣先生最後の選挙という思いで一緒に戦っていこう」と声を張り上げた。
※2017年10月5日の記事
引用元:www.sankei.com(引用元へはこちらから)
平成年間として最後となる第86回自民党大会が(2019年2月)10日、都内のホテルで開催された。
主役の安倍晋三総理は締めくくりのあいさつで、参院選などの勝利に向け、「あの悪夢の民主党政権に戻してはいけない」と、居並ぶ自民党議員や地方党員に檄を飛ばした。ただ、会場が一番沸き、総理以上の大喝采を浴びたのは谷垣禎一前幹事長の車椅子での演説だった。
引用元:toyokeizai.net(引用元へはこちらから)
谷垣氏はまず「3年前の夏、私の不注意から大けがをして突然仕事ができなくなり、大変ご迷惑をおかけしました」とお詫びから切り出した。大怪我からのリハビリ中に「全国の党員・党友らから大変な励ましの言葉を頂いた」と会場を見回した後、「私が今楽しみにしているのは、来年の東京パラリンピックです」「自分が障害を負うと、障害というものは一人ひとりで抱えている課題が全部違う」と語った。
続けて谷垣氏は「パラアスリートの方々がそれぞれの課題をどう乗り越えて、どう勇気を振り絞って大会に挑戦されるのか、ぜひ拝見したい。それが私にも勇気を与えてくれる」と真剣な表情で会場に語りかけた。さらに谷垣氏は、今年が改元の年で、世界情勢も激動していることを指摘し、「新しい道を切り開くには、自民党がさらに精進して、安定した政治をつくっていくことではないか」と総理らへの熱いエールで締めくくった。
引用元:toyokeizai.net(引用元へはこちらから)
メモも持たず、声量豊かに会場の一人ひとりに呼びかけるような約5分間のスピーチに、会場は大きな喝采と歓声に包まれた。インターネットでの中継動画でも「ガッキーいいぞ!」「参院選に出るべきだ」「車椅子の総理目指せ」などの書き込みがあふれた。
引用元:toyokeizai.net(引用元へはこちらから)
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(岸田前政調会長は)祖父、父も代議士を務めた3代目。“育ち”は良い。
「決して人の悪口は言わない。市議会議員に対しても、“先生”付けで呼ぶなど、人柄は抜群」(地元関係者)
引用元:news.yahoo.co.jp(引用元へはこちらから)
多くの人から、温厚、良き常識人と評価を受けている。悪い意味で、優柔不断ともいわれてしまっていた。仕事面については「物静かで堅実」という評価をされていることが多い。会見ではメモを読んで、その言葉を思い出しながら話すなど、まさに堅実の鏡ともいえる。そのため、「話がつまらないまじめな人」「地味で優柔不断な優等生」などといろいろ言われているが、本当のところはわからない。
複数の関係者に話を伺うと、キーワードは3つ。「いいひと」「チームプレー」「聞く力」だ。
引用元:japan-indepth.jp(引用元へはこちらから)
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「岸田の話はつまらない」。昨年の自民党総裁選で敗北を喫した後、こんな声が投げ掛けられたという。「しかし、私の特長は聞く力。今の時代に求められているリーダーは私だ」。岸田文雄前政調会長は総裁選が告示された(2021年9月)17日、衆院議員会館で開いた選対本部の出陣式でこう訴えた。
引用元:www.jiji.com(引用元へはこちらから)
温和な人柄のイメージが強い岸田氏だが、周辺からは「目の色が変わった」「戦う姿勢が前面に出るようになった」との声が漏れる。
出馬表明以来、新型コロナ対策、経済政策、外交・安全保障とテーマごとに記者会見に臨んでいる。「小出し」との批判もあるが、今後も地道に政策を訴え続ける考えだ。
今やトレードマークとなった「岸田ノート」には、全国各地で直接聞いた有権者の声が書きためてあるという。17日の演説会では広島弁も交えて自らの「聞く力」をアピール。「丁寧で寛容な政治」を体現するリーダーを目指す。
引用元:www.jiji.com(引用元へはこちらから)
信なくば立たず。
— 岸田文雄 (@kishida230) Sep 26, 2021
私は自民党を改革し、国民からの信頼を取り戻し、そして新しい政治を切り拓きます。
そのためには総裁選挙に勝ち抜き、総裁、そして内閣総理大臣になる。皆さんとともに、日本の未来を作ってまいります。
私に力を与えて下さい。
#チーム岸田 #自民党は国民政党
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菅直人総理(当時)から「入閣」の打診をされるも拒否。
「今は政権をいじる時ではない」「震災対応については全面的に協力する」
震災対応のどさくさに紛れて「大連立」を画策していた当時の民主党に釘を刺した。