株式会社エー・ワン代表の新倉利幸とは?人物像や経歴などを紹介!
新倉利幸とは、株式会社エーワンを創業し、現在は代表取締役を務めている人物です。本記事では、そんな新倉利幸についての人柄から生い立ち、株式会社エーワンを始めた理由まで解説いたしますので、興味のある方はぜひご覧ください。
株式会社代表取締役を務めている新倉利幸氏を皆さんはご存じでしょうか。
新倉利幸氏は株式会社エーワンを創業した日本人実業家です。
若い時は現場でバリバリ働いていましたが、現在は現場を退き、経営に専念しているようです。
ただ、現在も様々な新しいことに積極的にチャレンジする等、プレイヤー時代のエネルギーを失っていない熱血的な人物でもあります。
本記事では、そんな新倉利幸氏の人柄や経歴などを調べ、まとめています。そのため、
「新倉利幸さんってどんな人?」
「新倉利幸さんの人柄や経歴を教えて!」
「新倉利幸さんと株式会社エーワンの関係が知りたい」
といった疑問をお持ちの方や、新倉利幸氏に興味がある方はぜひご参照ください。
新倉利幸氏のプロフィール
新倉利幸氏の基本情報は以下の通りです。
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名前 | 新倉 利幸 |
ふりがな | にいくら としゆき |
生年月日 | 1970年12月21日 |
出身地 | 埼玉県浦和市(現さいたま市) |
居住地 | さいたま市(旧浦和市) |
身長/体重 | 170/63 |
血液型 | O型 |
最終学歴 | 城西大学 |
所属 | 株式会社エーワン 代表取締役 |
人物像 | 熱血漢、リーダー気質、人を喜ばせるのが好き、積極的、少しせっかち |
株式会社エーワン | https://a-one.tokyo/ |
Facebook | https://www.facebook.com/toshiyuki.niikura/ |
生い立ち
新倉利幸氏は、埼玉県浦和市(現さいたま市)で新倉家の長男として誕生しました。
新倉利幸氏は幼少の頃から明るいキャラクターであり、日頃から友達や周りの人を楽しませ、笑顔にすることを好んで行っていたそうです。
また、授業中先生に答えを求められ指名されると、同級生が新倉利幸氏の面白い答えを期待して、歓声が上がる事もあったりと、いつも話題の中心人物でした。
こうした性格・経験から、新倉利幸氏は高校生の時に「将来は人の役に立つ存在になろう」「役に立つ仕事をする」という目標を抱き、現在まで活動しています。
趣味
新倉利幸氏は以下のような趣味を持っています。
・自身が成長できる読書。 愛読書:中村天風著「運命を拓く」、稲盛和夫著「生き方」
・独りでギターや沖縄三線を弾いて心を癒すこと。
・大自然、大宇宙に触れ合うこと(沖縄の海、特に慶良間諸島の海に惚れている)。
・ツーリング&ドライブ。
・DJなど多才なピストン西沢さんのトークを聞くこと。
新倉利幸氏はこうした趣味以外にも、新倉利幸氏は般若心経や延命十句観音経やマントラを唱える習慣や、気功の鍛錬なども常日頃から行っています。
これだけの数の趣味や習慣を持っていることから、新倉利幸氏はかなり多趣味・多芸であり、精力的な人物であることが分かりますね。
人物像
新倉利幸氏は、先述したように子供の時から他人を楽しませることが好きな性格です。ただし人を喜ばせるのに自分を犠牲にする性格といったわけではなさそうです。
何故なら、新倉利幸氏は人との付き合いをするは自分の心が癒される環境や人を大切にしているからです。
恐らく、人を幸せにするならまずは自分を幸せにしなければならないをしっかりと守り、笑顔とゆとりを大切にしているのでしょうね。
そんな多趣味で優しい人柄を有している新倉利幸氏ですが、もちろんこれらは新倉利幸氏の一面であり、全てではありません。
他にも新倉利幸氏の性格として、苦労を物ともせず、信じた道をまっすぐに突き進むことが出来る、実行型で弱音を吐かないというのもあります。
この性格は本人も認識しており、粘り強さと困難に立ち向かう積極的なところも自分の持ち味だと語っているなど、熱い性格の持ち主であることが分かります。
ただ、こうした熱心な性格は何事にも全力かつプロ意識で取り組む姿勢へと繋がっています。そして、仕事から私生活までプロ意識を大切にするようになり、最終的には自分にも他人にも厳しい性格として現れています。
この点は新倉利幸氏も短所だと感じており、自分には回りくどい説明を省く癖や、話を聞くのが少しせっかち、正義感が強い、よかれと思った行動で逆に相手を傷つけることがあったなどと語っています。
そのため新倉利幸氏は、故意でなくても人を傷つけることがあることを認識し、弱いモノの味方になるくらい優しさと思いやりを大切にするようにしています。
その結果は見ての通りで、持ち前のリーダーシップと人柄で多くの人を集め、協力者の支援の元に資本金2000万円の株式会社エーワンを創業し、代表取締役を務めるまでに成長しています。
こうした点から、新倉利幸氏は自身の長所も短所もしっかりと認識し、人のために働き、そして成功してきた素晴らしい人柄・能力を有していることが分かりました。
経歴・実績
新倉利幸氏は、城西大学在学中に故石井紘基衆議院議員の秘書を務めていた経験があります。
卒業後もしばらくの間は政治活動に携わっていたのですが、新倉利幸氏は働き続けていく内に政治活動の場は自分の居場所ではないと実感していき、それと同時に自分は経営に携わる仕事をしたいという想いが強くなっていきました。
そして新倉利幸氏は、1993年(平成5年)についに経営に携わる仕事をすることを決心することになります。
決心の後は早く、化粧品の実演販売会社に転職し、その1年後(1994年)には転職先の子会社を立上げ、実質の経営者となりました。
また実質の経営者になった後も特に問題なく経営を続けていき、ついには独立し、1998年(平成10年)には現在の株式会社エーワンの前身となる「エーワン」を創業するなど、順調な人生を歩んでいきます。
もちろん全てが全て順調であり、幸運だったわけではありません。共に会社を創業したパートナーとの死別といった出来事もありました。
有人でありビジネスパートナーの死は新倉利幸氏に大きな悲しみをもたらしましたが、それは同時に大きなきっかけにもなったと新倉利幸氏は語っています。
事実、新倉利幸氏はパートナーの意志を継ぐという強い想いのもと、創業したばかりのエーワンを資本金2000万円、従業員数200名を超える現在の株式会社エーワンまで成長させて見せました。
創業したてのエーワンはマンションの1室4畳半が事務所であり、当時は従業員もいない、零細企業起業でした。
また、当時は新倉利幸氏自らが先頭にプレイヤーとして現場に立ち、大手国内メーカー化粧品を実演販売をしていたことを考えると、かなり大きな進歩です。
新倉利幸氏は現在に至るまでに、自分が現場に出て働きながらも、取引先への挨拶回りや交流を積み重ね、日用品雑貨メーカー等の取引先を徐々に増やすことで、売上を伸ばしてきたそうです。
現在は社員数も増え、経営基盤も安定し、年も取ったためプレイヤーを離れ、経営に専念していますが、当時の徐々に売上を伸ばし、アルバイトや社員の雇用を増やし、経営の基盤を作っていく大変さは想像に難くないです。
そんな中でも新倉利幸氏は、プレイヤー時代に全国を飛び回って様々な土地で宿泊したり、地元の名物を堪能したりと、それこそ国内はガイド出来るくらい詳しくなるまで観光地や温泉などを視察していたと語っています。
つまり、これだけの仕事をこなしながらもしっかりと自分の趣味や楽しみの時間を確保していたと言うことです。
普通なら遊ぶ元気もなくなりそうなものですが、体力や要領の良さが凄かったのでしょうね。
新倉利幸氏の1日
新倉利幸氏は、毎朝5時30分に起床しています。
起床後は脳科学をベースとした「脳磨き朝活」というコミュニティの参加・運営を行い、日中は株式会社エーワンの代表責任者として職務を全うしています。
株式会社エーワン
新倉利幸氏が創業し、代表取締役を務める株式会社エーワンは以下の事業を手がけています。
・化粧品、日用品メーカーの販売請負(セールスプロモーション)
・インバウンド対策として通訳スタッフの派遣
・MTG社が製造したReFaブランドをフィットネスクラブやショッピングセンターにおいての催事販売
・姿勢をサポートするStyleショップの運営
・日本化粧品協会認定講師の派遣
この項目では、これらの事業内容についてを解説いたします。
①化粧品・日用品メーカーの販売請負(セールスプロモーション)
この事業では、化粧品・日用品メーカーが製造した商品を効率よく販売するための提案や企画の打ち出しを行っています。
他にも、株式会社エーワン所属の販売員・実演販売スタッフを各店舗に配属させ、セールスプロモーション活動も行っています。
②インバウンド対策として通訳スタッフの派遣
中国人等の海外のお客様に向けた通訳と接客販売が出来るスタッフの派遣を行っています。
③MTG社が製造したReFaブランドをフィットネスクラブやショッピングセンターにおいての催事販売
フィットネスクラブ・スポーツクラブ・ショッピングセンターなどに対して、MTG社のReFaブランドや化粧品など、美容と健康商品のイベント販売を行っています。
④姿勢をサポートするStyleショップの運営
MTG社が展開している「姿勢をサポートするStyleショップ」の委託運営を行っています。
⑤日本化粧品協会認定講師の派遣
日本化粧品検定協会の講師資格を取得しているスタッフを中心に、美容教育・営業販売の育成プログラムの提案などの教育請負業務を行っています。
株式会社エーワンの新サービスの概要・コンセプト
株式会社エーワンは、新サービスとして昨年からブライダル業界向けの美容器販売部門を展開しています。
コロナの影響でブライダル市場が冷え切っている現在、このチャンスを掴むためにサービス開始の準備を進めおり、これからどのように展開していけるのかを楽しみにしていると新倉利幸氏は語っています。
また、株式会社エーワンが以前に行っていた、海外からの旅行客向けに行っていた通訳派遣サービスの復活や、他にも新サービスを模索中とのことです。
構想段階ではありますが、新倉利幸氏が今まで培ってきた販売技術と得意とする行動心理学、そして現在も学び続けている脳科学を導入、及び社外の研修の講師・コーチング事業も新倉利幸氏は考えています。
つまり、株式会社エーワンのメイン事業である対面接客業における、接客の研修やリーダー育成技術の更なる進歩や、保有している知識・技術を社内だけでなく、社外に公開することでの社会貢献と、これからもどんどん新しいことに挑戦していくということです。
もちろん株式会社エーワンだけが成長するのではなく、新倉利幸氏は自身が3年前から始めている脳科学をベースとした「脳磨き」という朝活をさらに進めていき、今年中には世界初の非認知能力を鍛える「脳科学検定」の資格を取ると宣言しています。
そして、この知識と技術を世の中に広め、役に立てる活動に参画していきたいとも語っています。
新倉利幸氏が株式会社エーワンを始めた理由
新倉利幸氏が事業や会社に関心を持ったのは、中学3年生の時の同級生の影響が大きいです。
この時の同級生が「会社の役員や社長になるんだ」という志を持っている等、志が高く、若い頃から夢を持っている人物であったため新倉利幸氏もつられるように事業や会社に関心を持つようになりました。
その結果、新倉利幸氏もまた高校3年の頃には、「自分で何か仕事を創る、また就職したとしたらトップを目指す」という志を抱き、自分の存在は「人の役にたつ人間になる」という人生の目標も同時期に決めたと語っています。
新倉利幸氏はこうした志・目標を実現するため、経営が出来るノウハウを学ぶことを決め、そのために「城西大学 経済学部経営学科」へと進学しました。
当初の予定では大学で経営のノウハウを学び、大学卒業後には何か事業を始めるつもりでした。
しかし、実際に入学してみると大学はその様な経営が出来るスキルを学ぶ場ではありませんでした。そのため、新倉利幸氏は外部に学びの場を求め、大学に在籍しながらも外部の経営・政治塾の様なコミュニティに参加することになります。
この時の経験は、学生の身分で経営者や政治家の方と接することが出来たり、大学4年時にはある衆議院議員の秘書になったりと、様々な経験が積めたために、得難いものだったと語っています。
ただ、それと同時に自身が目指すのは政治の世界ではないことへの確信にも繋がりました。
確かに秘書として働いていた時期は難しくもやりがいはあったのは間違いないが、やはり自分は経営や起業をして稼ぐ事がしたいのだと再確認した新倉利幸氏は、秘書を辞めることを決めます。
すぐにでも起業をしたかった新倉利幸氏ですが、お金がなかったこともあって、当時の友人がやっていた当時日給で13,000円の化粧品の実演販売のアルバイトを始めました。
最初は高給に惹かれただけのアルバイトでしたが、実際に働いてみると実演販売というモノにやりがいを感じ、とてもハマることになりました。
そして、夢中になって働き続けている内に半年もの時間が経ってしまいました。
ただ、これは時間を無駄にしたわけではありませんでした。何故なら、その働きぶりが評価され、社長から新会社を作りたいという希望もあって、新規事業立上げメンバーの一員にならないかと誘われることになったのです。
そして、正式に社員として雇用されることになった新倉利幸氏は、それから約3年間は経営者としての勉強をしながら、順調に実践を重ねていきました。
ただ、働いていく内に従業員に対して想いやりがない当時の社長に不満が溜まり、ついていけなくなったため、退職することとなります。
ただ、化粧品の実演販売という事業・業界自体は自分にとっての天職だと感じていたため、事業・業界を辞める気は毛頭なく、出来るなら自分の会社を創業したいと考えていました。
しかし、創業するには資金が必要であり、その資金が全くなかったため、新倉利幸氏は資金集めのために松下電工(現パナソニック電工)の販売代理店に就職をすることになります。
そんな、創業のタイミングを見計らっていた新倉利幸氏のもとへ、当時学生アルバイトであった前職の仲間から、自分の事業を立ち上げて、一緒にやらないかと誘いが来ました。
この誘いを好機だと捉えた新倉利幸氏は、その仲間と共に一緒に事業を立ち上げ、今の事業の基を築きました。
この創業パートナーは悲しいことに立ち上げから3年後に不慮の事故で他界してしまいましたが、新倉利幸氏はその悲しみを乗り越え、遺志を継ぐためにも事業の立ち上げを成功させました。
こうして株式会社エーワン始めるきっかけと理由を与えてくれた仲間に対して、新倉利幸氏は「他界した仲間が声をかけてくれなかったら、今の私はいなかったと想います。感謝しきれません」と感謝の念を述べています。
新倉利幸氏の魅力
新倉利幸氏は、高校3年生の時に決心した、「自分は人の役に立つ人間になる」という志を実現するため活動し続けている非常に魅力的な人物です。
その活動の内容は多岐にわたっており、経営や人生哲学から、占い的要素がある吉相・家相・開運ごと、神社仏閣のご利益、気功術、古代東洋西洋文化・思想、心理学や脳科学など、幸せで豊かな人生に役立つ様々なジャンル方法を学び、実践しています。
また新倉利幸氏は、こうして身に付けた知識を自身が行う事業・コミュニティや周囲の人へ提供することで、多くの人の困った事や悩み事の解決へと活用しています。
これは、人が豊かで幸せになったと思えるような手助け出来る存在(人の役にたつ人間になりたい)になりたいという目標からです。
この目標を達成するためにも、新倉利幸氏はこれからも関係する人々を通して知識等を伝え、より多くの人達に豊かで幸せになれるキッカケを届けていきたいと語っています。
こうした点から、新倉利幸氏は昔からの想いである「自分は人の役に立つ人間になる」を叶えるため、今なお様々な活動をつけている活動的で優しい、魅力的な人だということが分かりました。
ビジネスを始めたきっかけと理由
新倉利幸氏が現在のビジネスを始めた、つまり出会いのきっかけはアルバイトです。
新倉利幸氏は先述しましたが、高校生の頃から「将来は人の役に立つ存在になろう」「役に立つ仕事をする」といった、人の役に立ちたいという想いを抱いていました。
そのため、一度は城西大学在学中に故石井紘基衆議院議員の秘書として働き、政治の場で活動していましたが、これは自分のやりたいことではないと考えて、秘書を辞めてアルバイトをするといった思い切った行動をしています。
そして、この時に始めたアルバイトが化粧品の実演販売であり、運命の出会いでした。
このアルバイトを始めた理由は、元々友人が行っていたことや、日給が高かったといったごくありふれたモノであり、「昔からやりたかった」「親が昔働いていた」といった思い入れ・思い出があったわけではないです。
そのため、特に期待せずアルバイトを始めたのですが、実際に働いてみると、新倉利幸氏は実演販売の魅力にのめり込んでいくことになります。
と言うのも、実演販売という仕事は、ある意味化粧品メーカーの代表としてお客様と接し、実演を通して購入していただく仕事です。
そのため、責任とやりがいがあり、またお客様と近いために「使ってみて良かったわ」といった使ってみた感想等のリアルな声を聞ける仕事でした。
これが新倉利幸氏の目標である「役に立つ仕事をする」と合致し、アルバイトにハマったことがこのビジネスを始めたきっかけです。
それに対し、ビジネスを始めた理由は当時学生アルバイトだった前職の仲間の存在です。
この仲間が、自分の事業を立ち上げて、一緒にやらないかと新倉利幸氏を誘い、この誘いに乗ることで今の事業の基が築かれました。
ただ、この仲間は立ち上げから3年後に不慮の事故で他界してしまいました。
大切な仲間を失い、悲しみに暮れた新倉利幸氏ですが、仲間の意志を継ぐためにも悲しみから立ち直り、立ち上げた会社を成長させ、現在の株式会社エーワンを作り上げました。
新倉利幸氏についてのまとめ
今回は新倉利幸氏についての情報を集め、解説を行いました。
本記事の内容を簡潔にまとめると以下のようになります。
・新倉利幸氏は「自分は人の役に立つ人間になる」という志を大切にしている
・粘り強さと困難に立ち向かう積極的な性格の持ち主
・自分にも他人にも厳しいタイプ
・弱いモノの味方になるくらい優しさと思いやりを大切にしている
・新倉利幸氏は多趣味であり、様々なジャンルを学び・実践するなど活動的な人物
・亡き仲間の思いを受け継ぎ、株式会社エーワンの基となる事業を立ち上げた
今回調べてみて分かったことは、新倉利幸氏はかなり活動的な人物であり、一度決めた目標に人生を賭けて邁進できる強い人物であることです。
事実、新倉利幸氏は現役から退いてなおも、少しでも人の役に立つために精力的に活動を行っています。
また、亡き仲間のために会社を創業し、現在の株式会社エーワンまでに成長させることにも成功しています。
普通の人ならどこかで妥協したり、現役を退いたら悠々自適の生活を送りそうなモノですが、そのようなことにはならずに活動し続けている姿は非常に素晴らしい姿です。
こうした新倉利幸氏の姿は、多くの人が見習うべきだと思います。