書評家・杉江松恋さんのツイートが話題になっています。それに関するツイッター上のユーザから複数の情報、感想、画像などをまとめました。
目次
下読み中。あるギミックを使って普遍的な成長譚を書いた作品。こういう小説を読むと、ギミックを使わずに正面から登場人物と向き合ったほうがいい作品になったのではないか、という疑問がいつも浮かんでくる。答えはないのだが、ギミックは道具であって目的ではないのではと書き手に言いたいのである。
— 杉江松恋つ04bサークル腋巫女愛で静岡例大祭参加 (@from41tohomania) May 1, 2021
下読み中。文体及び技巧と書かれている内容が釣り合っていない問題。小説はどんなことをやってもいい表現形式だが、やたらと晦渋な比喩をエンタメに用いると失笑を招いてしまう。この内容に吊り合った表現形式を自分はとっているかという自省が常に必要。正解は一つではないので不精せず試すべきだ。
— 杉江松恋つ04bサークル腋巫女愛で静岡例大祭参加 (@from41tohomania) May 1, 2021
下読み中。一人称の語りは、視点人物の内的な声がどの程度多いのか、どのくらいの大きさで響くのかに気を付けた方がいいと思う。これがやたらと前に出てき過ぎて、語り手が嫌いになってしまう作品もある。語り手は主人公であると同時に物語に開いた読者のための窓だということを忘れるべきではない。
— 杉江松恋つ04bサークル腋巫女愛で静岡例大祭参加 (@from41tohomania) May 1, 2021
下読み中。起承転結の承にすぎないところで力尽きて、あるいは字数が尽きて書き終えてしまっている応募作が多すぎる。本来は終わってはいけないところで終わっているので主人公の心情が不自然に見える。それを繕おうとして主人公をやたらと感傷的に振る舞わせる。これで月並メロドラマのできあがりだ。
— 杉江松恋つ04bサークル腋巫女愛で静岡例大祭参加 (@from41tohomania) May 1, 2021
下読み中。書くべきテーマが明確にある作者には好感を抱くことが多いのだが、それが先走らないように自分を律してもらいたい。声音を落とし、登場人物が主張することはエピソードの形に改め、直接語る部分を減らして物語の結末によって暗示するにとどめる。言わないほうが伝わるってこともあるのだ。
— 杉江松恋つ04bサークル腋巫女愛で静岡例大祭参加 (@from41tohomania) May 1, 2021
などと言っている間に講評を書き終えた。コロナの影響か、なろうなどの投稿メディアが浸透したためか、全体的に応募者が若返ったような気がする。その点は心強い。投稿メディアと新人賞では評価の基準が違うので、そこは配慮して頑張って書いてください。みなさんご武運を。
— 杉江松恋つ04bサークル腋巫女愛で静岡例大祭参加 (@from41tohomania) May 1, 2021
一日講評を書いていたので疲れました。ごはんの支度してきます。
— 杉江松恋つ04bサークル腋巫女愛で静岡例大祭参加 (@from41tohomania) May 1, 2021
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選評送った。
— 杉江松恋つ04bサークル腋巫女愛で静岡例大祭参加 (@from41tohomania) May 1, 2021
あ、当然ながら下読みした作品の原型がわかるようなことは書いてないので、そこは当然ながら守秘義務があります。たぶん作者が見ても私が読んでいることはわからないと思います。なぜわからないと考えるかは書かないけど。念のため。
— 杉江松恋つ04bサークル腋巫女愛で静岡例大祭参加 (@from41tohomania) May 1, 2021
就寝前に一冊ずつ小学館電子の天才バカボンを読んでいる。マガジンからサンデーに移籍したとき、主線が一気に丸い感じに変わるんだけど、これって高井研一郎から長谷邦夫に変わったんですよね?
— 杉江松恋つ04bサークル腋巫女愛で静岡例大祭参加 (@from41tohomania) May 1, 2021
さて、下読みが一段落したので新刊を読む生活に戻ります。
— 杉江松恋つ04bサークル腋巫女愛で静岡例大祭参加 (@from41tohomania) May 2, 2021
新刊を読まない日が続くと山が形成されてしまうので、まずこれを崩さないように本を抜くことから始めなければならないのです。
— 杉江松恋つ04bサークル腋巫女愛で静岡例大祭参加 (@from41tohomania) May 2, 2021
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