スポーツ史に残る衝撃的な番狂わせを起こした立役者のその後を大追跡!
今回は俳優で活躍する元プロボクサー・赤井英和がまさかのKO負けを喫し、引退するきっかけを作った無名のボクサーを大追跡!
目次
赤井英和と対戦したのは85年2月5日。完全アウェーの大阪府立体育会館だった。
「赤井は練習不足や減量苦で最初からいつもと違ってた。で、3ラウンド12秒、右フックが赤井のこめかみにバコンって感じで決まってね。ボクの右薬指が骨折したくらいものスゴい衝撃で、これが赤井の脳出血の原因になったらしい」
試合は大和田さんの7ラウンドKO勝ち。
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担架で控室に運ばれた赤井は、そのまま病院に直行。危篤状態だったが、4時間余の開頭手術の結果、奇跡的に一命を取り留めた。
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しかし、ボクシングには次の試合も絶対に勝てると云う保証はどこにもないのである。
そして、大和田は悪夢にさらされる。
赤井戦後の凱旋試合となる大事な試合に負け、次の試合も負けてしまったのだ。
◆1985年6月11日
飛鳥良(松戸平沼)にまさかの5回KO負け。
この試合のKO負けが原因だったのか7カ月間も試合から遠ざかってしまう。
◆1986年1月27日
木村栄治(ロッキー)に1回KO負け。
「あ〜ッ!やっぱり、顎が弱い!ガラスのジョーか!また、元の鞘(さや)に収まってしまった感じだッ!」とばかりファンから揶揄されたりもした。
連敗の原因はやはり減量の厳しさから来るものだったのか?試練のしどころだった。
そして、次の試合から階級を上げてミドル級で挑む事となった。
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そんな試練の中、ノンタイトル戦ながら日本ミドル級王者への対戦が決定する。満を持して挑む事になった。
◆1986年3月24日
日本ミドル級王者の無限川坂(上福岡)に鮮やかな4回KO勝ち。
この後に正式な挑戦が決定する。
いよいよ試される大一番の日が訪れた。
◆1986年8月11日
日本ミドル級王者
無限川坂(上福岡)に挑むのだが、前回のように簡単には行かなかった。やはり易々と王座を明け渡す筈もないのだ。
しかし、壮絶な打撃戦になりながらも、大和田の有効打が上回り10回判定勝ちとなり念願の日本ミドル級王座を獲得する事となった。
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■日本ミドル級タイトルマッチ
1986/08/11 ○10R判定 (採点不明) 無限 川坂(上福岡)
※日本ミドル級王座獲得
■日本ミドル級タイトルマッチ
1986/09/28 ○5RKO 丸尾 正(福岡帝拳)
※日本ミドル級王座防衛①
■日本ミドル級タイトルマッチ
1986/12/15 ○10RKO 無限 川坂(上福岡)
※日本ミドル級王座防衛②
■日本ミドル級タイトルマッチ
1987/03/23 ○8RTKO 丸尾 正(福岡帝拳)
※日本ミドル級王座防衛③
■日本ミドル級タイトルマッチ
1987/05/10 ○5RKO 松柳 俊紀(東邦)
※日本ミドル級王座防衛④
■OPBF東洋太平洋ミドル級タイトルマッチ
1987/09/06 ●7RTKO ポーリー・パシレロン(インドネシア)
※OPBF東洋太平洋ミドル級王座獲得失敗
■日本ミドル級タイトルマッチ
1987/12/14 ○5RKO 大和 武士(セラピー渡辺)
※日本ミドル級王座防衛⑤(のちに返上)
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「ウチは電車の駆動系部品とか電子部品、精密医療機器、それにプラスチック製品やアルミ製品の表面加工処理をやるメッキ加工会社なんだ。定時制高校進学と同時に、当時は板橋区熊野町にあったこの会社に入社しただろう。つまり、勤続して38年になる。ベテラン社員だね、ハハハ」
埼玉県狭山市の西武新宿線狭山市駅からクルマで10分の高松電鍍工業で会った大和田さん、まずはこう言った。名刺には「製造部 次長」とある。
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「今は市内の多寿満ボクシングで週末、トレーナーとして若い選手の面倒を見てる。世界に羽ばたくボクサーを育てたいね」
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明日21日(日)TBS「消えた天才」大和田正春さん役で! ー アメブロを更新しました
— ぶらっくさむらい 武内剛 (@50takeuchi) Apr 20, 2019
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生年月日 1961年1月12日
通称 和製ハグラー
(戦績)
28戦16勝(14KO)11敗1分
第37代日本ミドル級王座(5度防衛)
1988年3月21日王座返上。