能登半島地震において立憲民主党・福山哲郎氏が「政府は政務三役を現地に派遣しろ」と批判していましたが、東日本大震災で民主党政権は被災地に総理自らが早々に乗り込んで邪魔をしまくっていた過去があります。ネットでは当時のことを振り返り、「お前らに批判する資格はない」と非難する声があがっています。
目次
総理は緊迫した時間を過ごされている事と推察します。昨夜20時、古賀災害担当副大臣の派遣を決定をされてよかった。ただ被災は広範囲です。石川だけでなく富山、新潟にも出来れば省庁を超えて被災地の地図と人が分かる政務三役を派遣して下さい。311の際は翌朝、日の出時に三県に三役を派遣しました。
— 福山哲郎・立憲民主党 (@fuku_tetsu) Jan 2, 2024
無駄に派遣して復旧の邪魔をしたことしか覚えないんだが…
— which333@(CV:大塚◎夫) (@which703shf) Jan 2, 2024
なんのマウントやねん。情報処理能力ゼロやったのにw
— すらいむ@おもんぱからん (@punyupunyuslime) Jan 3, 2024
大変な所にお偉いさんがわんさか行ったらその対応に追われる被災地は大変と言う発想が無いよなこの人達はあの時ヘリ飛ばしたい放題飛ばして被災地視察と言う名のヘリドライブ楽しんで挙げ句の果てに原発吹っ飛ばしてバックレた邪魔しないで黙って見てな
— ゲタ (@JJ9Qf6ePUFXLvpN) Jan 2, 2024
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岸田総理大臣の現地視察安全の確認を自衛隊や石川県が担う→余計な仕事SP同行→経費かかる石川県警に警備依頼→この忙しい時に🥺避難民→岸田総理大臣の顔を見ても腹は膨れないし壊れた家は直らない何でこんな簡単な事が考えられないのか🤔
— 市川マリーンズ@マリンか東京湾かアパホテル😅 (@bouzunogare42) Jan 5, 2024
岸田首相を擁護するわけじゃないけど、国のトップは災害発生時に安易に現地入りするべきではない今この状態で岸田が被災地入りすれば、警備や対応に人手が割かれるわけで、そのせいで必要な指示が出来なかったり対応が遅れるほうが問題
— ヒステリック下痢【公式】 (@hysteric_geri) Jan 6, 2024
政治・選挙プラットフォーム政治山【ニュース】地震や台風などの天災が発生したとき、被災地を選挙区とする国会議員や地方議員は、義援金や支援金を送ったり、支援物資を提供したりすることはできるのでしょうか?
とりわけ政治家やタレントの場合、現地に行くとかえって周囲が気を遣い、活動の妨げになりかねません。現地に行かなくとも、活動そのもののアピールが売名行為と取られることもあります。実際に今回の地震で多額の義援金を送ったタレントがインスタグラムで報告し、「売名行為だ」と一部で批判されています。
善意に基づく行動であっても、社会的に責任ある立場の人には、より厳しい国民の目があることを自覚し、本当に苦しんでいる被災者を救う活動に徹することが求められます。
引用元:seijiyama.jp(引用元へはこちらから)
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東京電力福島第一原発が地震と津波で電源を喪失した翌日、首相は突如、現地を訪れた。混乱を極める中、政府の現地対策本部長として、受け入れ側だった池田元久・元経済産業副大臣(79)は、当時の最高権力者の姿…
東京電力福島第一原発が地震と津波で電源を喪失した翌日、首相は突如、現地を訪れた。混乱を極める中、政府の現地対策本部長として、受け入れ側だった池田元久・元経済産業副大臣(79)は、当時の最高権力者の姿を「見苦しかった」と振り返る。
(中略)
――12日朝、ヘリで訪れた首相を福島第一で迎えました。
「菅氏は免震重要棟に向かうバスの中で、東京電力の武藤栄副社長(当時)に『なぜベントをやらないんだ』と迫っていました。怒鳴り声ばかり聞こえ、話の内容はそばにいても、よく分かりませんでした」
――首相を見て、どう思いましたか。
「リーダーとして、総理大臣として、まずいな、よくないなと思いました。執拗(しつよう)に大声でガンガン言っていると、聞くべきことを聞かなかったり、コミュニケーションが途絶えたりしてしまうじゃないですか。菅氏は東工大出身で、原子力について知っている意識が強かったんだと思います」
引用元:digital.asahi.com(引用元へはこちらから)
――その後、免震重要棟で福島第一の吉田昌郎所長(当時)からベントについての状況説明を聞きました。
「吉田所長の話を聞いているときは、菅氏はちょっと静かになっていました」
――首相が怒鳴ったのは、吉田所長のほかに十分に説明できる人がいなかったからではないですか。
「そうではないですよ。議論はいいけど、ガンガンやるのは見苦しいでしょう。(首相の様子を見て)同行していた寺田学首相補佐官(当時)に『総理を落ちつかせてくれ』と言いました」
引用元:digital.asahi.com(引用元へはこちらから)
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「私にとって吉田(昌郎)さんは『戦友』でした。現(安倍)政権はこの(吉田)調書を非公開としていますが、これは特定秘密にも該当しないし、全面的に公開されるべきです」
私にとって吉田(昌郎)さんは『戦友』でした。現(安倍)政権はこの(吉田)調書を非公開としていますが、これは特定秘密にも該当しないし、全面的に公開されるべきです」
菅直人元首相は月刊宝島8月号で、ジャーナリスト(元朝日新聞記者)の山田厚史氏のインタビューに対し、東電福島第1原発の元所長、吉田氏を自らの「戦友」だと述べている。
引用元:www.sankei.com(引用元へはこちらから)
だが、産経新聞が入手した吉田調書を読むと、吉田氏側は菅氏のことを「戦友」とは見ていない。むしろ、現場を混乱させたその言動に強い憤りを覚えていたことが分かる。
例えば、政府事故調査・検証委員会の平成23年11月6日の聴取では、「菅さんが自分が東電が逃げるのを止めたんだみたいな(ことを言っていたが)」と聞かれてこう答えている。
「(首相を)辞めた途端に。あのおっさんがそんなのを発言する権利があるんですか」
「あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。辞めて、自分だけの考えをテレビで言うというのはアンフェアも限りない」
引用元:www.sankei.com(引用元へはこちらから)
さらに必死で作業を続けている所員らに菅氏が激励もせずに帰っていったことを証言している。
菅氏が震災発生4日後の15日早朝、東電本店に乗り込んだことにも冷ややかだ。同じ頃、現場でまさに死と向き合っていた吉田氏は7月29日の聴取で、テレビ会話を通してみた菅氏の東電本店での叱責演説についてこう語っている。
「ほとんど何をしゃべったか分からないですけれども、気分悪かったことだけ覚えています」
「何か喚いていらっしゃるうちに、この事象(2号機で大きな衝撃音、4号機が水素爆発)になってしまった」
引用元:www.sankei.com(引用元へはこちらから)
この内閣の期間中、一番起こってはいけないことが起こってしまいました。東日本大震災です。 あの震災が起こった2011年3月11日、その日の私の「iza!・イザ!」のブログです。 少々言葉が大人げないのはお許しください。 子供内閣の危機管理。一番おきて欲しくないことが起こってしまった 03/11/2011 23:36:26 被災者のみなさまに、お見舞い申し上げます。 まだ寒い時期に、そしてまだこの政権の時期に。 かなり失礼なことを申し上げるかもしれません。お許しください。 阪神大震災経験者として、そのご苦労はわかったつもりの上での暴言です。 危機管理のできない内閣。 この内閣のうちに、大規模な災害…
2011(平成23)年3月11日午後2時46分、官房副長官だった福山哲郎は首相官邸執務室で激しい揺れに襲われ、地下の危機管理センターに入った。1時間後、官邸の雰囲気を一変させる情報が入る。「福島第1...
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政治家。立憲民主党所属の参議院議員(5期)、立憲民主党京都府連合代表、学校法人瓜生山学園京都芸術大学(旧:京都造形芸術大学)教授(政治学)、学校法人瓜生山学園理事、学校法人龍谷大学理事。
参議院環境委員長、外務副大臣(鳩山由紀夫内閣)、内閣官房副長官(菅直人内閣・菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、参議院外交防衛委員長、民主党政策調査会長(第14代)、民主党幹事長代理、民進党幹事長代理、旧立憲民主党幹事長(初代)、立憲民主党幹事長(初代)、参議院東日本大震災復興特別委員長などを歴任。