自民党の政治資金問題でSNS上で批判を展開する鳩山由紀夫元総理ですが、ネットでは「どの口が言う」などと鳩山元総理の過去に発覚した問題を蒸し返して非難する声が多く上がっています。批判を投稿する度に悉くブーメランとなって返ってくるため鳩山元総理、もうSNSをやめて静かにしていた方がいいと思いますが…。
目次
沖縄県民の意思に背き、辺野古の軟弱地盤の広がる地域で工事が始まることになる。地方自治の原則に反し国が自治体の事務を代執行するのだ。米軍の中にも、辺野古ができても普天間飛行場は返さないという声があるのに。それにしても裁判所は易々諾々と国に従うだけで沖縄県民の声を聞く良心はないのか。
— 鳩山友紀夫(由紀夫)Yukio Hatoyama (@hatoyamayukio) Dec 27, 2023
沖縄県宜野湾市の中心部に位置し、市街地での米軍機墜落事故などが懸念される米海兵隊の普天間飛行場の移設は、移設後の跡地の日本返還を米政府が約束した1996年以降、具体策でつまずき続けてきました。同県名護市辺野古の米軍基地キャンプ・シュワブへの移設が決まったのは2005年。06年には滑走路の形状などを条件に名護市が受け入れを決めたことを受け、辺野古沖の埋め立て案で両政府が合意し、稲嶺恵一県知事も容認を表明しました。
10年ぶりに動き始めた普天間移設を、「最低でも県外移設」と宣言し、白紙に戻したのは、民主党の鳩山由紀夫首相でした。辺野古移設への反対運動が勢いを増し、県と名護市も反対に転じます。鳩山氏は「10年5月末までの決着」を約束しますが、代替案を準備していたわけではなく、日米関係も悪化しました。結局、5月下旬、06年合意をほぼ踏襲した辺野古移設案で両政府が改めて合意し、反発した社民党は連立政権を離脱。鳩山首相は迷走の責任をとり、6月2日に辞任を表明しました。
引用元:www.yomiuri.co.jp(引用元へはこちらから)
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辺野古工事の代執行を批判したら、辺野古に戻した張本人は私だとのご批判を頂いた。その通りである。外務省に偽りの文書を見せられ、それを信じて辺野古に戻したのは私である。そして総理を辞めたが、偽りと分かり、沖縄県民に申し訳ないと、その後は「辺野古NO」の沖縄県民に寄り添って行動している。
— 鳩山友紀夫(由紀夫)Yukio Hatoyama (@hatoyamayukio) Dec 28, 2023
■世論に見る平成の内閣⑥ 朝日新聞は1946年から世論調査を実施しています。過去の調査を繰り、歴代内閣を振り返るシリーズを随時配信します。 ◇ 沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場の名護市辺野…
2009年に自民党から民主党に政権が交代し、発足した鳩山由紀夫内閣が、それです。党代表だった鳩山氏はこの年の夏に遊説先の沖縄で、普天間について「最低でも県外移設の方向に向けて、行動を起こさなければならない」と打ち上げました。既に自民党政権下で、日米合意のうえで政府方針として決まっていた辺野古移設を覆す内容です。
これが、後々まで政権の取り組みを縛ることになります。鹿児島県の徳之島など「県内と県外を含めて四十数カ所」(鳩山首相)の候補が検討されましたが、迷走が続きます。米側から不信感を持たれ、鳩山首相がオバマ米大統領に「トラスト・ミー(私を信頼して)」と伝えたこともありました。
鳩山内閣は結局、10年5月、名護市辺野古周辺に移設するとした政府方針を閣議決定します。
引用元:digital.asahi.com(引用元へはこちらから)
自民党政権下で辺野古沖案が決まったのは2006年だが、民主党に政権交代した後、鳩山首相(当時)の「最低でも県外」発言で大いに混乱した。
その当時、鳩山首相のブレーンと称される人たちが思いつきの発言をしたことで議論は収束せず、結果として時間の無駄だった。
引用元:www.zakzak.co.jp(引用元へはこちらから)
鳩山首相は「学べば学ぶほど抑止力の重要性が分かった」と述べたうえで、「沖縄の地理的な特性と海兵隊の特徴を踏まえ、海兵隊が沖縄に配置されていることは抑止力になっている」との政府見解を踏襲せざるを得なかった。
もっとも、その後、鳩山氏は「米海兵隊の抑止力」を挙げたことについて、「辺野古しか残らなくなったときに理屈付けしなければならず、『抑止力』という言葉を使った。方便と言われれば方便だった」とも語っており、本当にデタラメな発言ばかりしていたことが判明している。
引用元:www.zakzak.co.jp(引用元へはこちらから)
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