立憲民主党・岡田克也幹事長が辺野古基地移設問題を巡って政府を批判している。「政権交代後に米国と議論する!」と言うが、そもそも問題をさんざん引っ掻き回してこじらせたのは旧民主党政権だ。しかも岡田幹事長は当時外相として大きく関わっている。そんな岡田幹事長の政府批判にネット民はシラケるばかりだ。
目次
米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画を巡り、斉藤鉄夫国土交通相は28日、防衛省が申請した地盤改良工事の設計変更を県に代わって承認する「代執行」を実施した。地方自治法に基づき、国が自治体の事務を代執行したのは初めて。防衛省は2024年1月12日にも県が埋め立てを認めていない区域で工事に着手する。
引用元:www.nikkei.com(引用元へはこちらから)
米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画を巡り、斉藤鉄夫国土交通相は28日、防衛省が申請した地盤改良工事の設計変更を県に代わって承認する「代執行」を実施した
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衆院選の応援で来県した立憲民主党の岡田克也幹事長が10日、那覇市内で本紙のインタビューに応じた。
民主党政権時の外相として、普天間飛行場の県外移設が辺野古に回帰したことについて
「有力候補だった徳之島など、県外の知事とも話をしたが、反対に遭い、行き詰まった。沖縄の皆さんには本当に申し訳なかった」と述べた。
今後は野党第1党として政権交代を目指し、米政府との協議で辺野古の工事中断を目指す考えを強調した。
引用元:www.okinawatimes.co.jp(引用元へはこちらから)
国の代執行については「あらゆる手段を使って力で推す手法では県民の理解は得られない。地方自治を否定するものだ」と政府の強硬姿勢を批判した。
岡田氏は9日に知事公舎で玉城知事と非公開で面談し、辺野古を含めた県政課題について意見交換したことも明らかにした。
引用元:www.okinawatimes.co.jp(引用元へはこちらから)
衆院選の応援で来県した立憲民主党の岡田克也幹事長が10日、那覇市内で本紙のインタビューに応じた。
沖縄県宜野湾市の中心部に位置し、市街地での米軍機墜落事故などが懸念される米海兵隊の普天間飛行場の移設は、移設後の跡地の日本返還を米政府が約束した1996年以降、具体策でつまずき続けてきました。同県名護市辺野古の米軍基地キャンプ・シュワブへの移設が決まったのは2005年。06年には滑走路の形状などを条件に名護市が受け入れを決めたことを受け、辺野古沖の埋め立て案で両政府が合意し、稲嶺恵一県知事も容認を表明しました。
10年ぶりに動き始めた普天間移設を、「最低でも県外移設」と宣言し、白紙に戻したのは、民主党の鳩山由紀夫首相でした。辺野古移設への反対運動が勢いを増し、県と名護市も反対に転じます。
引用元:www.yomiuri.co.jp(引用元へはこちらから)
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2009年に自民党から民主党に政権が交代し、発足した鳩山由紀夫内閣が、それです。党代表だった鳩山氏はこの年の夏に遊説先の沖縄で、普天間について「最低でも県外移設の方向に向けて、行動を起こさなければならない」と打ち上げました。既に自民党政権下で、日米合意のうえで政府方針として決まっていた辺野古移設を覆す内容です。
これが、後々まで政権の取り組みを縛ることになります。鹿児島県の徳之島など「県内と県外を含めて四十数カ所」(鳩山首相)の候補が検討されましたが、迷走が続きます。米側から不信感を持たれ、鳩山首相がオバマ米大統領に「トラスト・ミー(私を信頼して)」と伝えたこともありました。
引用元:digital.asahi.com(引用元へはこちらから)
鳩山氏は「10年5月末までの決着」を約束しますが、代替案を準備していたわけではなく、日米関係も悪化しました。結局、5月下旬、06年合意をほぼ踏襲した辺野古移設案で両政府が改めて合意し、反発した社民党は連立政権を離脱。鳩山首相は迷走の責任をとり、6月2日に辞任を表明しました。
引用元:www.yomiuri.co.jp(引用元へはこちらから)
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岡田克也外相は(2009年12月)5日、那覇市で地元紙の沖縄タイムス社の岸本正男社長らと会談し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題をめぐる日米協議について「2カ月間みっちりやってきた。もう限界だ」と述べた。鳩山内閣は年内決着を見送ったが、同県名護市辺野古に移設する日米合意の履行を求める米側の反発は強く、辺野古以外にこだわれば移設そのものが困難になるとの厳しい認識を示したものだ。
同席者によると、岡田氏は岸本氏との会談で、これまで模索してきた嘉手納基地への統合について「難しい」と表明。「(現行計画は)日米間で煮詰まっていた話。元に戻って議論とはならない」「選択肢はもうない」などと、辺野古移設を受け入れるしかないとの考えを示した。
引用元:www.asahi.com(引用元へはこちらから)
――岡田代表時代の05年の民主党沖縄ビジョン改訂版でも「県外移転」や「国外移転」に触れています。当時から「県外・国外」という考え方はあったようですが。
「ビジョンを議論していた現場は『国外』と入れたいと報告してきました。それでは『米軍は日本から出て行け』というメッセージになる。政権をめざす政党として、米軍を敵視するような政策を取るのは、無責任ではないかと思いました。一方で、沖縄に普天間、嘉手納の二つの大きな基地があり、負担が重すぎることは事実なので、『県外』を加えてくれ、とお願いしました。具体的に目算があったわけではないですが、無責任に『国外』と言わない、ということであれば、日本の中で移設先を探すということしかなかったと思います」
引用元:digital.asahi.com(引用元へはこちらから)
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