ビジネス誌『Wedge』が、安倍元総理の外交・安全保障戦略について振り返る記事を掲載した。記事では安倍元総理のインドとの連携などに触れ、「日米豪印の枠組みは対中戦略として有効だった」「安倍元総理は初めて世界史を変えた日本人だった」とまとめた上で、「国葬に値する」と好意的に結論付けている。
「自由で開かれたインド太平洋」、安倍元首相の一言が変えた米国のアジア観と中国観」という記事が、あのリベラルなCNNの電子版にのっていました(2022年7月22日)。
そこには、「暗殺者の銃弾で殺害された安倍氏は生前、西側の同時代人の誰よりも多くのことに取り組み、その課題に対応してきた」「同氏が作り出したシンプルなフレーズ、『自由で開かれたインド太平洋』は、多くの外国の政治指導者たちを変えた」「もっとも重要な点だが、結果的にある一国が表舞台に登場することになった」「インドの重要性を認識し、民主主義の立場から将来の中国覇権に対して均衡を保つ役割を担うと考え、組織的にインドの指導者らへの呼びかけを開始し、構想の中へと引き入れた」と言った言葉が散りばめられていたのです。
引用元:agora-web.jp(引用元へはこちらから)
アジア太平洋地域の多くの人々にとって、安倍晋三元総理は先見の明のある人物だった。台頭する中国を課題ととらえ、米国主導の政治・軍事同盟システムにもたらす影響について認識していたからだ。
7月8日、暗殺者の銃弾で殺害された安倍氏は生前、西側の同時代人の誰よりも多くのことに取り組み、その課題に対応してきたと言っていい。
総理の連続在任期間は歴代最長。多くの人々は、安倍氏の主導によりようやく日本が第2次世界大戦の影を脱することができたと記憶するだろう。
引用元:www.cnn.co.jp(引用元へはこちらから)
同氏は中国人民解放軍の急速な拡大を予見していた。世界最速レベルの経済成長に支えられた同軍が、地域の力の均衡を乱すだろうと見抜いていた。そして日本は、こうした変化の結果、戦後米国から与えられた平和的な憲法について再考する必要に迫られるだろうとも主張していた。
2014年、当時の安倍政権は同憲法の解釈を変更。理論上、自衛隊による海外での武力行使を可能とした。そのためのツールも与え、ステルス戦闘機を購入したほか、それらを艦載機とする戦後初の国産空母完成に向け、護衛艦の改装も進めている。
しかし、おそらく自国の防衛――多くの人々にとってはより広範なアジア地域の安全保障――に対して安倍氏が行った最大の貢献は、軍備ではなく言葉にある。つまり同氏が作り出したシンプルなフレーズ、「自由で開かれたインド太平洋」だ。
引用元:www.cnn.co.jp(引用元へはこちらから)
スポンサーリンク
スポンサーリンク
07年以前に米国政府が好んでいたのは、アジアをオーストラリアから中国、米国にまで広がる地球上の巨大な領域として概念化し、「アジア太平洋」と呼称することだった。
この概念は中国をその中心に据えており、安倍氏には受け入れ難いものだった。多くの日本人と同様、同氏は中国政府の影響力が伸長すれば自国がはるかに規模の大きい隣国から不当な扱いを受けかねないと危惧していた。
安倍氏の目的は、世界に対し、もっと大きなレンズを通してアジアを眺めるよう促すことだった。「インド太平洋」というそのレンズは、インド洋と太平洋の両方にまたがる概念で、07年のインド議会での演説で初めて提唱された。演説のタイトルは「二つの海の交わり」だ。
このようにアジアの境界を捉え直すことには2つの意味があった。まず地理的な中心が東南アジア及び南シナ海に移った。好都合にも人々の注目が集まったその地域では、中国政府が多くの国々と領有権争いを繰り広げていた。
次に、おそらくもっとも重要な点だが、結果的にある一国が表舞台に登場することになった。純粋に国の規模だけで中国の対抗勢力となり得る国、すなわちインドだ。
引用元:www.cnn.co.jp(引用元へはこちらから)
安倍氏が原動力となって進めた枠組み、日米豪印戦略対話「QUAD(クアッド)」はインドを他の3カ国との提携へと引き込んだものであり、立ち上げは前述した「二つの海の交わり」の演説と同年だった。
この提携のルーツは04年に発生したインド洋大津波での救助活動にあるが、「イデオロギー的要素」を帯びるようになったのは06年の安倍氏による選挙演説においてだったと、米シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)は指摘する。その後07年に戦略フォーラムとして生まれ変わり、半ば定期的に首脳会談や情報交換、そして極めて重要な合同軍事演習が行われるようになった。中国はこれに対し抵抗感を示した。
数カ月後、安倍氏は自らの掲げる「拡大アジア」「広大なネットワーク」の構想を明らかにした。それによって結ばれた国々は、自由と民主主義、共通の戦略的利益といった「基本的価値」を共有する。
こうした説明からは、中国の入り込む余地がほとんどないように思われる。同国はこれ以降クアッドに脅威を抱き続けており、王毅(ワンイー)外相は米国を公然と非難。「北大西洋条約機構(NATO)のインド太平洋版」によって中国を取り囲もうとしていると主張した。
引用元:www.cnn.co.jp(引用元へはこちらから)
安倍氏の影響力が広範に及んでいたことは、死後に寄せられた追悼の言葉から明らかだ。
弔意を表した政治家の中に、インドのモディ首相がいた。同氏は07年に会って以来、安倍氏を「親愛なる友」と呼んでいる。9日には安倍氏のため、国を挙げ喪に服することを宣言した。
思いがこもっているのは米国からのメッセージも同様だ。米国は中国の最大の競争相手であり、日本にとっては最大の軍事同盟国となる。
安倍氏の下、米国と日本の関係は「新たな水準」に達したと、米シンクタンク、センター・フォー・アメリカン・プログレスのアジア担当上級研究員、トビアス・ハリス氏は指摘する。バイデン大統領が全国のあらゆる公共施設と世界中の連邦施設で半旗を掲揚するよう命じたのはその表れだった。
ホワイトハウスの公式の追悼文もそうした認識を反映していた。そこでは安倍氏を米国にとって「信頼できる友」とし、「両党の大統領とともに、両国間の同盟を深化させるべく尽力した。開かれたインド太平洋のために、共通の構想を推し進めた」とたたえた。
引用元:www.cnn.co.jp(引用元へはこちらから)
スポンサーリンク
スポンサーリンク
このフレーズは、米国の政治や軍事に関わる声明の随所に見られるようになった。18年、ハワイに司令部を置く米太平洋軍はその名称をインド太平洋軍に改めた。「米国が西方向を注視する中、インド洋と太平洋の結びつきが一段と増している」ことを念頭に置いた措置だ。
2021年12月、インドネシアでの「自由で開かれたインド太平洋」と題した演説の中で、ブリンケン米国務長官は米国政府の意向として「同盟国や提携国と力を合わせて、ルールに基づく国際秩序を守る」と明言。「我々はそうした秩序を数十年かけて築いてきた。地域を確実に開かれた状態に置き、アクセス可能なまま保つためだ」と述べた。
そして先月シンガポールで開かれた「アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)」では、オースティン国防長官が「ルールに基づく国際秩序」もしくはそれに類する言葉を8回口にした。
岸田文雄首相はこの言葉を19回用いて「自由で開かれたインド太平洋」構想を進める日本の姿勢を説明。同構想は国際社会から広範な支持を得ているとの見解を示した。
この広範な支持こそが、安倍氏の残した極めて永続的な遺産かもしれない。
引用元:www.cnn.co.jp(引用元へはこちらから)
スポンサーリンク
スポンサーリンク
この記事に問題があると考えた場合、こちらから作者様にご連絡をお願いします。
国内では平和安全法制などの法改正を行い、
国際社会では中国を念頭に置いた枠組み作りに力を注いだ。