2019年04月21日更新
飯塚幸三 旧制浦和高校 埼玉県

飯塚幸三は旧制浦和高校出身と判明!東大進学率2位の名門高校!

池袋プリウス事故の飯塚幸三が東大出身であることはさんざん報道されていますが、では、高校はどこだったのか?調べたところ、旧制浦和高校出身と判明しました。1950年に閉校してしまい、今は浦和公園に跡地が残るのみとなっていますが、当時は東大への進学率が第2位の名門校でした。

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飯塚幸三が自ら学歴を語っている資料を発見

《精密工学学会誌 硬さ標準の研究三昧の時代 飯塚幸三》

私は1931(昭和6)年に東京の中野区で生まれ,太平洋戦争終結時は旧都立四中(現戸山高校)2年生であった.

幸いにも私の世代は集団疎開も工場動員も免れたが,校舎も自宅も空襲で焼失した.

4年修了で入学した旧制浦和高校は学制改革のため1年で大学受験となり,理科好き少年として迷わず東京大学理科一類に入学した.

教養課程が終わり本郷に進学するときは光学の講義のある学科として工学部応用物理学科(計測工学専修)を選択した.

引用元:www.jstage.jst.go.jp(引用元へはこちらから)

飯塚幸三の学歴まとめ

中学:東京府立第四中学校
高校:旧制浦和高等学校
大学(前期課程):東京大学理科一類
大学(後期課程):東京大学工学部応用物理学科

旧制浦和高校は名門校

旧制浦和高等学校は、1921年(大正10年)埼玉県北足立郡浦和町(現在のさいたま市浦和区)に設立された官立旧制高等学校。

第20番目の官立高等学校として設立され、文科・理科よりなる修業年限3年の高等科が設置された。東京帝大への進学率は一高についで二位の位置を占めた。

引用元:ja.wikipedia.org(引用元へはこちらから)

旧制浦和高校の出身者

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Wikipediaで出身者を調べたところ、学者や政治家の名前が大量に掲載されていました。さすが東大進学率ナンバー2の高校という感じ。

飯塚幸三の名前も学者・文化人の欄に掲載されていました。

出典:ja.wikipedia.org

旧制浦和高校はもう存在しない

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浦高の校地は埼玉大学のキャンパスとして継承されたが、1969年浦和市大久保地区に統合移転したため、跡地は整備されて1974年県立北浦和公園・市立浦和北公園が開かれ現在に至っている。

引用元:ja.wikipedia.org(引用元へはこちらから)

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